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「失敗を歓迎する」お互いを助け合う風土を作るために――アムネスティワークショップ

先日、アムネスティ主催のワークショップに講師として参加してきました!

社会の中で声を上げるためには?というテーマで4名の講師によるトーク&ワークショップを行いました。僕以外の3名のお話がとても興味深かったのでそれについてもまた後日まとめたいなと思ってます。今回は僕のトレーニングについて。
僕は今までどおりYes,and演劇ワークショップにてコミュニケーションのトレーニングをやったんですが、今回はサポート的な立場だったのであくまでエッセンス版という感じ。短い時間ですべてを体験してもらうのは難しいので内容を絞り、決めたテーマは「失敗を歓迎する」でした。演劇を使ったトレーニングを始めてもう6年以上経ち強く実感しているのですが、コミュニケーショントレーニングの前に「失敗」に対する恐怖心や抵抗感を何とかする必要があると思っています。

演劇は失敗を繰り返しながら創り上げていきます。失敗を恐れてしまうと大胆な表現が生まれなくなってしまうし、チーム全体が縮こまってしまいます。だからこそお互いに失敗を許容し合いサポートし合い、助け合う風土を創り上げなければならない。これは演劇だけではなくすべての活動においてそうなのではないでしょうか。だからトレーニングでは失敗を許容するどころかむしろ歓迎するところまでいってしまう。誰かが失敗したら「イエーイ!」と声をあげながら拍手をして祝福する。ナイス失敗!ナイスチャレンジ!と言葉と体をフルに使って表現していきます。そこまでしなければ「失敗してはならない」という現代社会の呪いには太刀打ちできないのです。

SNSを見れば失敗した人が袋叩きにあっている姿がすぐに見つかります。新しい道をかき分けて進んで転んでしまった人に対して「なぜもっと足元をちゃんと見なかったんですか?」「ここにくぼみがあることは調べてばわかるはずですよね?」「身の丈に合った道を選ぶべき」「転んだことで泥が跳ねて横の人が汚れたらどうするんですか?」「これだから歩くヤツは……」みたいなコメントが多く寄せられます。あ、上記コメントは僕の脳内にいる架空SNSクソリプ野郎にお願いして出してもらいました。
なんでだろう!道で転んでいる人がいてもそうやって呪詛を吐くかな?僕はSNSは路上と同じ公共空間だと思っているんだけど違うんですかね?
とてもとても簡単なことだと思うんですよ。転んだ人がいるのなら「ケガはない?」と助け起こしてあげればいいだけのことです。だって、自分だってそうして欲しくないですか? 少なくとも僕はそうして欲しいです。転んだのなら助けてもらいたい。それとも呪詛の言葉が欲しい人が多いんですかね?すごいマゾヒストが多いのかな……
僕の脳内にいる架空SNSクソリプ野郎に意見を聞いてみたところ「道を歩いていた目的によるだろ。ただ歩いているんじゃなく泥棒しようとして歩いて転んだのなら当然助けない」と言われました。なるほど、助けるべき人と助けるべきじゃない人の線引きがあるということなんでしょうね。架空SNSクソリプ野郎ありがとうございました。僕はそうは思いません。まず、助けないことと呪詛を吐くのはまったく別です。助けないのなら素通りしてください。「いや呪詛を吐いて徹底的に叩くことで次の泥棒を防げるだろ」また架空SNSクソリプ野郎が出てきてしまいました。現代社会には司法があります。その役目を追うのは個人ではなくルールです。それに、助けるべき人と助けるべきじゃない人の線引きはどうするんでしょうか?なんとなくの感覚?それはつまり自分が転んだときもなんとなくの感覚で線引きされるということだけどいいんだろうか?

さて僕の脳内架空SNSクソリプ野郎が暴れまわってしましたが本題にもどります。

「失敗を歓迎しよう」と掲げると、とはいえ実際の仕事では失敗できないから……という言葉をもらうこともあります。それに失敗と一口にいっても、取り返しのつかない失敗をしてしまったらどうするんだ、という意見もあるでしょう。それはそうだと思います。ここまで書いててなんだよと思うかもしれませんが、僕も大失敗はしたくありません。でも失敗を歓迎するという姿勢が、大きな失敗を未然に防ぐことになるのです。
よくニュースになる多くの取り返しのつかない大失敗はそれ以前の小さな失敗の積み重ねで出来ている思います。これを読んでいる皆さんも自分の過去の失敗を思い返してみてください。たとえば何か小さなトラブルがあったときに怒られるのが怖いから上司に相談できず結果的に大きな問題になってしまった、とか。自分の評価を下げたくないから裏でなんとかしようとしてバレた、とか。人生そんなことばっかりですよね。僕も落ち込んできました……
とにかく、小さな失敗を許容できないから取り返しのつかない大失敗に発展してしまうことが多いんだろうと思います。最初の小さな失敗の時点でチーム内に失敗を許容(歓迎)するムードがあれば、失敗をシェアして対策を立て、お互いに助け合いながら問題解決に進んでいけるはずです。
アムネスティのHPになる谷川俊太郎さん訳の世界人権宣言第1条にはこう書かれています。

第1条 みんな仲間だ
わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だからたがいによく考え、助けあわねばなりません。

アムネスティHPより

失敗を歓迎し許容しあう風土ができれば、お互いに助け合うことができるはずです。助け合うことができればそれが仲間であり、お互いの人権を守り合う関係になれるということなんだと思います。


最後につまらないことを書きますが「失敗を歓迎する」ってなんだか聖なることというか、理想的で清いことのように感じるかもしれません。でもそうじゃないんですよ。僕がこういうことを書くのだって、自分の失敗を責められなくないからです。失敗を受け入れて赦してほしいです。そのためにはまず自分が他者の失敗を歓迎し許容しなければならないと思っています。
正直、許容したくないことだらけです。できることなら呪詛を吐きたいです。でもその呪詛と呪いは自分に返ってきます。自分が生きづらい世の中を自分で作ってしまうわけにはいかないので頑張って許容していきますけど、でもやっぱり大変なので助けが欲しいです。お互いに失敗を歓迎し許容しあえる仲間を少しずつ増やしていくためにワークショップやってるのかも知れないなと思います。

そして呪詛と呪いに対して、それでも対等であろうとする人には尊敬の念が尽きません。

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