馬鹿にされるのは、
ある一面はそうだ、ということ。
そう感じるところがあり、
そう見えている。
「何も言わずに、隣でにこにこ笑ってればいい。」
そうなんだろう、
その方が無難だろうし、
その方が相手も困らない。
自分がいる意味だの、自分の能力だの、
今、目の前の人が欲していることが
なければ、そこで必要なくなる。
頑張ってるので、勉強しているので。
そうじゃないのだ。
学校ではないから、待ってはくれない。
待つ必要もない、相手としたら。
悔しいな、腹が立つな、納得いかないな、
とは思うけれど、
それを言ったところで、自分が何か出来る、
応えられるようになるわけではなく、
凹むなぁ、と思いつつ、
そういう評価点にいる、と認識する方が
まだ進む気になれる。
何もないと思う自分が嫌なのか、
何もないと思われる自分が嫌なのか。
限りなく、今の感覚は後者の気がする。
何があったら嬉しいのか、ということを
突き詰めていくと、
何も浮かばない。
今で十分満足だし、今でそれほど困らない。
なのに何か持ってないと
いけない気がして、
さらには何かないと思われるのは、
とてもつらい事だと感じて、
何かしなければ、となってる。
知らないままでしておくのは
良くないとは思うけれど、
知らない、状態がすべてNGではない。
知らないから、知ろうとする。
それで調べる。知る。
また知らないことに当たる、
調べる、知る。
その繰り返しでいいのでは。
自分の知ってる世界のことで
高飛車なことを言ってくる人に
ロクな人はいないから、放って置いたらいいよ。
あと、良く知らないのに、
それらしい推測で言ってくる人。
結論を聞けば、良く知らないのは分かるから。
いいよ、馬鹿にされて、否定されて。
こちらはしなければいいのだから。
相手に気づきを与えてやらなければいいのだから。
こちらは気づくし、現在地を確認できる。
もっと知ろう、もっと考えてみよう、
の原動力を得られる。
馬鹿にする側は吐き出して終わり。
大きな屁に紛らわされるな。