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「まとも」であるために。

自分がめんどくさいからと言って、
他人のせいにする、
あとからわからないようにする、
そういう事が標準の人と仕事を
しています。

自分はまともであろう、と
思ってみましたが、
そもそもまともでないから、
標準がズレている職場で
働いているわけです。

「自分は清廉潔白」と言う人は怪しい。
「自分は頑張っている」と言う人も怪しい。
「努力が報われていない」と独り言を言う人も怪しい。

今年に入って、
何度も「自分がまともや、と言うのは気ぃつけえよ。」
父親の言葉を思い出します。

他人が言っているのを聞くと、
ますます気を付けないと、、と思います。

他人の事は目に入るけど、
自分だって、河原の岩を登ったはいいけど、
どうやって降りたもんか、、
とお昼休みに途方に暮れかけた。
あれが40歳が近いおじさんの、
昼休みにやることなのか。

有難いことに、
「世間一般のまとも」がしんどいから、
ここにいさせてもらっている。
そんな気は常々しているわけで。

ところが、
まともでない人に「感謝しろ」と言われて
していたけれど、
最近、なんだか釈然としないので、
「失礼かな?」くらいで済ませるようになりました。

すると、不思議。
まともでない人は離れて、
まともな人に対しての時間が取れるようになり、
「対応が丁寧になった。」と
お褒めの言葉を頂けました。

どこかを減らせば、どこかが増える。

質量保存の法則。
で、よかったでしょうか?

まともでない人に、
面と向かって戦う必要も、
主張をぶつける必要はなくて、
相手が勝手に墓穴を掘るから、
相手にしない。

いつも柳に風の先輩の
極意を垣間見た気がします。

抵抗しないから情けない、とか、
みっともない、ではなく、
屈してはいないけれど、
改善も求めないし、関わろうともしない。
この絶妙な距離感。

絡んでくることは、
さっさとあしらう。

邪険にするわけではないけれど、
まともには取り合わない。

寂しい人だと思います。
関わる人を、のべつまくなしにけなし、
傷つけ、それでも、「面倒事」から
離れることが出来ず、また不満を溜める。

一年中、何かにイラついて、
文句と批判の対象を探して、
一時の解消の先には何もなく、
その時の記憶だけが残り、あらたな発散を求める。

まぁ、他に楽しいことを見つける気がなければ、
そんなもんなんでしょう。

自分が山を登ることが至高の楽しみ、と思うのと
同じように。

そう、これが、
「自分がまとも」と思い込まない、
自分なりの秘訣。

いまだに、うっそうとした藪の先にある、
見たこともない岩壁、沢筋、山頂を
夢想するのですから。

他人と比べて、
「まとも」を競うくらいなら、
自分の夢想をどんどん強めて、
現実にしてみようと思います。

それが、「まとも」なのだと思うから。

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 たくろ
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