ある程度習熟せんと、面白みが分からん。
ほな習熟はどないしたら、できんの?
量をこなす、なんやわ。
量は時間も使わんと、稼がれへん。
短期集中で基礎を作って、あとは時間をかけて
じわじわ染み込ませる。
その途中で、お、なんかおもろいやん、
が出たりする。大概出てくる。
そのお宝に出会えるまで、やってみんと分からん。
ただ、すでにおもろさに気づいている人、
お宝に出会った人はいるから、
その人が、どんだけそこに向かって、
時間、量を積んだのか、知るのもええかもしれん。
そこまでやってるんかい?
と自分に問いかけるために。
ここまででいいや、の線引きは自分でしたら
ええねんけど、
面白い、を感じないままに終わると、
次なんかやる時も、
おもろないところで止めてしまう。
おもろいところまで行くのに、
自分の体感でどの程度や?
沢登り、ブランコ作業でどちらも2年経った
あたりかな、猛烈に面白くなったのは。
その2年に至るまでに、山で岩登ったり、
ロープ使ったりしていたから、
その基礎期間除いての2年やで。
そう考えると、今興味をもってるけど、
面白いまで行きついてないことは、
まだ全然時間が足りてない、量が足りてない、
ちゅうことやと腑に落ちるな。
焦りすぎなんやな、と。
早い事やらんと、人生いつ終わるか分からんで。
そりゃその通り。
今日が人生で一番若い。
それもその通り。
せやけど、すぐにパッとわかる、面白さに出会えるか
どうかは確かなことではないんよ。
確かなんは、早よ動いた方が、量と時間を稼げる、
面白いと思う宝を見つけらる可能性が上がる、ちゅうこと。
著名でも、著名でなくても、
すべからく楽しそうに見える人は、
その分野で猛烈に時間と量をつみあげてはる。
好きだから、を通り越して、
生活行動の一部にまでなってる。
もしくは人生がそこを軸に回ってる。
勝ち負けを仕掛けたら、
勝たれへんに決まってる。
勝ちにいかんでええねん。凹むだけやから。
勝ち負けやなくて、
面白さに気づける、がゴールやで。
面白さに気づいたら、
誰が何といおうと、面白いんやから。
それは自分だけの感覚なんやから。
その感覚を得るにはどないするんやった?
時間と量。
これは変わらんのやわ。
積まんとわからんねんから、
積み方のことでごちゃごちゃ考えて、
足踏みしてる暇があったら、
積んで見なはれ。
なんか見えてくるから。
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