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考えてないで、パンツを洗え、畳め。

いつ自分がまともだと
思うようになった?

どこがどう転んでも
まともでは無い。

そもそもまともでいることは
合わない、好かない、オモロない
でここまで来たのでは?

まともでない基準同士で
やり合っているのか?
とうもそうじゃないらしい。
こちらに引き込んではいけないのでは?

相手が掻き回している?
それは大いなる勘違いでは?
自分が一番掻き回してるような
気がしてきた。
休日になると冷静に回る頭。
これも果たして冷静なのか
どうか。

一歩引いて、自分の態度、やってる事、
言動、考え方を思いつくだけでも
挙げてみれば、まぁ品行方正とは
程遠い。


たぶん、相手の表現が自分に
飲み込めない、飲み込みにくいだけで、
だいたい言われてる方向性は
まともな事。

もともとまともではない眼鏡で
世界を見ているから、
そりゃまともで攻められると
反発したくなる。
しかし、残念なことに
相手の方がまともなので、
着地するところは相手の言うところ。
ごもっとも。


ここから自分を責めたり、
思い悩んだりするのは
若かりし頃。
これも引いてみれば、結局
自分基準で変われない一線を
守る行動。自己防衛戦。

時は移ろい、おっさん期。
このままではやべぇな、と思う面と、
そのまま従うなんて、オモロないやないけ。
の幼稚だけど魅力的な、
おそらく若さへのノスタルジー。


周りをみれば、
まともではない姿勢を崩さず、
貫く先輩方のなんと多いことか。
垣間見せるまともが判断を
にぶらせるが、どう見ても考えても
まともでは無い。

これに安心してもいいのか?
安心したいのか?
とはいえ、わざわざオモロない
まともを目指し、ちぐはぐな
世界観でもがき一人相撲に興じるのか。

暫定の答えは、
「おい、自分がまともだと思って
 人を見てないか?
 話を聞いてないか?」
これを立ち止まって思い浮かべる時間を
持つこと。

また、相手がまともだと盲信しないこと。
相手もまともではない。

ほな、まともってなんやねん?

嫌やけど、やっぱりオモロない
ことなのかもしれん。
頭の片隅に浮かぶ一抹の寂しさを、
カミさんには出さずに今日も過ごそ。
「また訳分からん、余計なこと
 考えてる!」とお叱りを受けるから。

深淵なる問いを持つ者、すなわち
パンツ洗わず、畳まぬ者なり。
我、家事の一部に向き合い、
これを知るなり。

なんつって。





 




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