一緒にやろう。
言うだけ、やるだけ。
それではどちらにも不満がたまる。
だから、手間だけど、
間違うこともあるけれど、
一緒にやろう。
なかなか進まないけれど、
思うようにはいかないけれど、
一緒にやろう。
体力もいるし、
忍耐も必要。
そもそもこちら言い分、
あちらの言い分、
どちらにも一長一短あるわけで、
そうなるとなかなかお互い譲れない
部分もでてくるけれど、
全部が全部そんなに深刻なことではないのだから、
一緒にやろう。
一方的にやれ、と言われれば、
大人だろうが、子どもだろうが、
カチンときても仕方ない。
だから、任せてほしいと言われるまでは、
一緒にやろう。
任せても大丈夫と言われるまで、
言えるまで、一緒にやろう。
お互いが、相手に期待をしすぎているから、
相手に自分の何かを投影しすぎているから、
腹も立つし、言いすぎたりする。
こちらも思うことがある通り、
相手にも思うことがある。
考えても、慮っても分からんのが、
他人の心。
それならば、いっそのこと、
一緒にやろう。
やって見せ、言って聞かせて、
させてみて、それでも上手くいかんのは、
やり方、言い方、聞かせ方、
はたまた、させ方が宜しくなかったんかも
しれん。
面倒くさいと思う気持ちもわかるけど、
出来てもらうこと、
一人で任せらることがゴールなら、
その道中は、一緒にやろう。出来るまで。
やって見せ、言って聞かせて、
させてみて、褒めてやらねば、なんとやら。
出来んことを腐して、あげつらって、
責めたてて、それで出来るようになるんかいな?
そのあと、同じようなことになっても、
出来ないの、個人の資質うんぬんより、
途中の教え方、接し方に問題があるんちゃうかな?
怒っても、腹が立っても
顔にも態度にもださんでええから、
一緒にやろう。
一緒にやれば、なんかが変わる。
なぜかって?
今まで、一緒にやってないから。
変わらんわけがないやん。
そう、
くどいようやけど、
一緒にやろう。