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作られた楽しみとの付き合い方。

自分が何もしなくても
楽しくなること、
気持ちよくなること、
面白いと思えることは
世の中溢れかえっている。

それでお金を稼ごうとする人、
それが本当に人のためになると
信じている人、
そのどちらでもない人、
なんでもござれ。
選び放題で、人生終わるまでにすべてを
網羅することは不可能ってことだけは確か。

だから、自分から、
あえてその「用意された、誰かの
頑張りでつくられた楽しみ」
から意識的に逃れることが、
また一つの「楽しみ」「娯楽」として
成立する状態
になってきていると思う。

本当に「つまらない」ことを見つける方が
難しくなっている気がする。
特に消費する側、受け取り手でいる
時間が多いほど。
ネットしかり、サブスクしかり。

座って画面が見れる状態であれば、
無限に続く映像の時間をただただ
見続けるだけで、あっという間に一日は終えられる。
楽、ではある。楽しくもある。

でも、それでええんかいな?
と思う。
究極まで、その「楽」に溺れられれば、
その経験を基に何か発信する側に
なってりするのだろうけれど、
大抵はそこまで行かず、
その日その日で少しずつ時間を浪費し、
蓄積するのは、「時間を浪費した」という
経験
のみ。

全く意図したわけではないけれど、
劇遊び、なり切り遊びが好きな子どもと
暮らしていると、
やっぱり、「映画や芝居を見る側」で
ずっといるのは、本質的には楽しくなく
て、
なんでもいいから、あの世界の一部でも
取り入れて、日常の中で振舞ってみる、
いっそ、演技してみる方が、
楽しいのだな、感じる。
※創作劇に1時間以上付き合うのは、
なかなかハードではあるけれど。。。


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 たくろ
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