新しいことを始めた人を見ると「変わっちゃったのね」と捉えちゃう、認識の固定化
認識は常に固定化に向かう
人間の認識ってものは面白いもので、新しいことを始めた人を見ると「あ、前のことはやめたのね」「変わっちゃったのね」と思っちゃうみたい。
例えば私がEQ(感情知能)とか問いとか「冒険的世界観」とか言い始めると、あ、今までやってた会計とか戦略っていうのはやめちゃったのねって受け取っちゃう人が多いみたいです。
とんでもない。
以前学んだものはしっかり続けて生かします。だって長い歴史の先人の知恵がありますからね。
しかし、その生かし方は確実に変わってきます。なぜなら社会生活をしていると人間はすぐに「凝り固まり」の罠にハマるからです。
本来のアップデートとは
長くやっていることは多くは得意技になってきているので、ある程度意識せずにしていることは増えています。
でも昨日書いた「得意技のジレンマ」というのがありまして、そこに留まっているといずれ「行き過ぎ」になって凝り固まって衰退します。
そこで「あ、行き過ぎたな、これから反対に進むな」と感じたら、その時点で別の方向の学びを追求するのです。
いつのまにか進化している反対側の新しい知見を吸収しながら、両端を行き来する。
そして過去の学びと融合させたり、組み替えたり、一部は使わなくしたりして今に整合させる。
一つの理論を追求する行き方もありますが、
私は人間の「飽き」の特性も考えて、両端を行き来するのが本来の意味での「アップデート」と考えています。
私より20歳以上若い優秀な方々を拝見すると、余計な囚われが少ないので、このアップデートのサイクルが猛烈に早い。
だから私は次世代の方々が熱心に探求している場所に行き続けるようにしています。
お坊さんだけど、科学的な人
面白い人が居ます。私が年1回行く座禅断食を指導してくださる野口法蔵さんは、出家する前はカメラマンだった方。
インドで撮影しているうちに何かを感じてしまって、そのまま歩いてチベットに行き出家。厳しい修行を経験されて日本に戻り、今は臨済宗のお坊さんとなっています。
座禅断食中の講話があり、もちろん精神的なお話もあるのですが、断食の説明になると「マーガリンの分子構造は。。。」などとびっくりするくらい科学的。
科学的と精神的は何か対立しているように言われることも多いですが、
どちらのこともしっかり学んで、いや修行して、どちらの良さも悪さも突き詰めて、なおかつそれを統合されて、常に模索されている。
このような生き方を目の前で実感するために、年に1回は行くようにしています。
ということで、私達はこのような感情知能の基礎講座もやっている一方で(明日7/4締め切り)
これまでの戦略的な経営の知見を身につける研修は定期的に続けています。(7月は2週間後)
両端を行き来して、飽くなき探求をいたしましょう。