人見知りから愛をこめて
ずいぶんと前回の投稿から間が空いてしまった。
時より自分の思いを今までのようにnoteにまとめようという思いがあったんだけれども、なんというか文章にするまでにならなかったし、ちょっと毎回こういう文を書き続けることが苦しくなる。
それ以上に、自分が今まで追い続けていた「自分とは何か」という問いに対してこうではないかというような答えが出たのが大きい。そのために本もまあまあな数を読んだ。
その中でもこの本にはかなりの影響を受けた。
平野啓一郎氏、「私とは何か」である。
かなりいっぱいこの本に関しては書評が転がっているのでここではそんなに多くは書かないが、やはり自分というのは「個」っていうのでまとめるのが難しいんだなということを感じ、だいぶ思い詰めた状態から落ち着いてきた。
まあ、近況はそんなところで。
最近ちょっとなんだかなというようなことがあった。
友人に連れられてビジネスパーソン、ビジパがいっぱいいるようなバーに行ったんだけれども、大学生としてがっついていろいろなことをやっている大人に話しかけるべきところを、萎えてしまって言葉が出なかった。正直な話緩いトラウマになりかけた。
はっきりと自分の特質やハッシュタグみたいなものがある人が自己紹介できるのは望ましいが、そういうハングリー精神があるのが一番いい。
ただそういう知らない大人がいっぱいいるようなところに金魚のフン的についていった僕の末路に待っているものは何か、それはその場についた時点でハングリーではなくなりおなかがいっぱいになってしまうのだ。
何もしていない僕は、逆に何もしていないことをアピールしてこういう分野があるということをたくさん吸収すべきなのかもしれない。それも全くできない。キラキラと周りの大人がしゃべっているところを直視できない。
そしてなんというか、そういう時に「瞬間最大風速の孤独」に襲われるんだ。周りにはまあ、自分を誘ってくれた知ってる人がいるんだけど、その人たちが当然のごとく目を輝かせて年上のビジパと喋っていることが理解できてない。そこからやっぱり大きな悩みにその場で陥って、外の景色を見る方がマシみたいになっちゃう。
こんな感じでは、就職なんて、ましてや起業なんてもってのほかだ。
まったく我ながら先が思いやられる。
全てをそのせいにしてはいけないが、やっぱり「人見知り」「内向的」であることは関係しているだろう。
小さい時から限られた人としか話さなかったし、高校時代はそのピークを迎えた。隣の人とのグループワークみたいな時間では自分の顔を手でやんわりと隠してワークできないようにしたこともあった。(本当にその当時の隣の席の人には申し訳なく思っている)
今でこそ人とのコミュニケーションは取るときにはとるが、そういう多人数がいる場合にはどうしても「騒がしい」っていう思いが出てきちゃう。各人が実りある話をしているんだろうなとは思いつつ。
まあ、たまによく話す人には「友人がいないだろ」ということを言ったり言われたりする。正直な話、僕自身は何百人という人に対してコンタクトをとったり正常な人間関係を保てる人間ではないので、別に友人が少ないことは問題にしていないのだが、すこし感じるところはある。
ちょっと脱線するが、世の中は「内向的」「外向的」という風にはくくれないだろう。当たり前だが。そのレベルはいっぱいあるし、それを変えようと頑張っている人たちはいっぱいいる。
ただ、僕の場合最初に出したようなバーの状況みたいなことを過去にも体験したしそのたびに「おなかいっぱい」な感じになってしまうのでもう二度とそういうビジパがいっぱい交流しているような場所にはいかないと思う。
たぶん人脈っていうのは大事なんだろう。有用な情報が集まるきっかけになるし、組織運営や起業においてキーピースにはなるだろう。
ただ、それを追いかけ続けていくことは疲れることなんじゃないかと思っちゃう。よくみんなそんなによその人の話を興味を持って聞けるよな。
結局、このような考えを持つことによって自然と自己中心的な考えになり、noteで意味の分からない自分を見つめてるような文章をいっぱい書くようになる。
こうやって、愚痴みたいなことを並べ立ててきたが「人見知り」な自分を変えようとは思わない。そして、無理にそれを作ろうとは思わない。それは内向的な人にもこんな成功者がいるとかそういうことを書きたいわけではない。
一つ思うこととしては、人見知りであることによって意外と心理的安全性が担保されるのではないだろうかということだ。
大学に行くことは怖いが、人見知りによって人を異常なほどに吟味する力が湧けば、結果として自分が望む状況を作り出せるだろう。
後は、自分だけで楽しめるということを発見できるのは強いことだと思う。他人が見えない分、エネルギーを一点に集中できる。思いがけない好きなことが見つかるかもしれない。みんながビジネスビジネスしている脳みその中、僕の場合は短歌に出会えたのは結構薬になってる。
僕は一人っ子なので、人見知りになんか拍車がかかった気がしなくもないが、まあ自分で自分と対話できる仮想状況ができやすくなった。物語とかも結構細かいSF物を自分の頭の中だけで作って、終わらせた。
ただ、その塩梅によっては思いつめた状況になり言語化、想像力がまったくなくなり泣いちゃうことになる。
そういう意味で言えば、会話やこうやって文字にしたりと、人見知りにとってはいかにアウトプットするかが大事なような気がする。もちろん安全を確保したうえでだ。
だから、みんなにお願いしたいのは、多少勝手に話させてほしい。
人見知りから愛をこめて、放っておいてくれ。