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色彩を持たない開幕直後と、赤と黒の上昇の年
村雨のような一瞬で過ぎ去るシーズンオフが終わり、北海道コンサドーレ札幌の新しい季節がまた、開幕した。
あんなに待ち望んだ今季の初戦の終わり、どこか上の空で画面を見ていた僕は、開幕戦の試合終了のホイッスルが鳴り響くのを聞くと、「やれやれ」とため息をもらした。
ため息の向く先は、2-0で負けた赤黒縦縞のクラブでも、新監督のややこしい言い回しでもない。いつも開幕直後は調子が上がらないのを知ってるはずなのに、一年がたつとそんな事をすっかり忘れてしまう、「僕自身」への苛立ちだった。
それは、2月が28日しかないことを月末に慌てて思い出す事や、入場時にはじめて会員証が忘れたことに気づくこと、ゴール裏で青木亮太の劇的決勝弾に興奮しすぎてドームに着てきたカーディガンを置きざりにするのとよく似ている。そんな僕をキミはいつも
「忘れっぽいのね」と微笑んで言ったんだっけ。
そう。君の言う通り僕はやっぱり、「今シーズンも」忘れていたんだよ…。
「上までついたら私が声をかけるからそしたらあなたは目を開くのよ」
歩道橋のエレベーターでキミが言ったのは、僕たちがはじめて二人でコンサドーレの試合を見に行った日の事だ。
Jリーグの試合なんかテレビでも見たことがなかった僕に、キミは「いいわ」と言って目を開かせ、初めて目の当たりにした札幌ドームが明るい日差しが、何かの雑誌で見た新印象派のジョルジ・スーラの点描画のように輝いていた。
その点描画の一点になったキミは、開場を待つ列で僕に今まで見てきたコンサドーレの選手を嬉しそうに説明してくれた。
「クッシーのビルドアップは受け手の体制が悪いのにパスを出すから全部彼の所に戻ってきちゃうの。私それをクシビキを中心としたパスワークって呼んでるの」とか、「トッくんがタクマを捨ててチャナと仲良くするのはインプレッションをあげる戦術的意図が見て取れるわ」とか、「雨が降った時のイワヌマシュンピーはちょっと残念な感じがするの。厚別だと風もあって尚更」とか、
まるで好きな小説の登場人物を一人一人紹介するようにしてくれた。そんな会話に浸っていると長い列もあっという間に会場の中に吸い込まれて、それとは逆に僕はキミとの時間が永遠に続いてほしいと願った。そんな僕の前でキミはまだ残る雪を踏みつけながら「やっと札幌にも春が来たね」と言った。僕は雪を踏みつけながら発する「春」という言葉がなんだかとても不釣り合いな気がして、そのアンバランスな感じがキミが教えてくれたジェイとチャナの身長差みたいだと思った。
「いい?忘れちゃだめよ。コンサドーレは長いキャンプ生活のままアウェイで開幕戦を迎えるの。やっとキャンプが終わってホームに帰ってきても、調子が悪いのはそのせいなんだから。今日も上手くいかなくても嫌いにならないでね」と、急展開する物語の中盤の主人公ようにキミは不安げに僕に言った…。
春をそれから二人で何回か迎えて、突然キミは僕の前から消えた。
それはもう陣容が固まっていた矢先に急にヤマシタがにいなくなった時のように、僕を不安にさせ、驚かせたんだ。
キミがいつかのシーズンにSNSをやりだし、コンサドーレ関連のアカウントをもち、試合や選手の事を僕に話してくれるように楽しそうに呟いて、他のアカウントから「お花畑」って揶揄されてたのを、僕は三塁とホームの間に挟まれたランナーみたいに混乱して見ていた。いや「三本間」に挟まれたは僕ではなくキミだったのかも知れない。調子の悪いチームや選手を誰に頼まれたわけでもなく「庇う」キミは、「赤黒の事を唯々、批判して見てるなんて私にとって”普通の飲み会”に行くくらいつまらないことなの」と言って何度僕が提案してもSNSを止めようとはしなかった。「楽しまなくちゃダメよ」と前を見据えて言うキミに、僕は”普通の飲み会”に行く事がどんなことなのかよく分からなかったけど、キミが疲れているのは痛いほどわっかた。いつかの夜の試合後に、僕たちは誰もいない宮の沢の練習場にいってフェンス越しに緑のピッチを覗き、地下街のマクドナルドでハンバーガーを食べ、少し風に当たりたいというキミの提案で札幌の街を二人で歩いた。僕は歩きながら、もう、コンサドーレの事をSNSでつぶやくのを止めたらと「何度」も言った。そのたびにキミは「大丈夫」って明るく言って話題を変えたのだけれども、どんな話をしてもその夜は話題がSNSのことにもどってきてしまって、そんな会話をキミは「クシビキを中心とするパスワークみたいだねと」と言って強がってみせた。でもそう言ってしばらく歩いてからキミは突然スマホを手に取り立ち止まり、アスファルトに立ち膝をついてSNSのアカウントを消した。いつも僕に「忘れっぽいね」と笑うキミが、とうとう「楽しむ」のを忘れてしまった瞬間だった…。
樹々が「春を待つ事」を決して忘れないように、僕はキミがいなっくなってからもコンサドーレの試合を「忘れないで」見続けた。
あれから札幌はしばらくJ1にいて、昨季に”とうとう”J2に降格した。
僕は去年、降格がコンサドーレとは別の試合で決まった瞬間をテレビで眺めながら、キミがこのシーズンにSNSをやってなくて良かったと思った。
僕の前からもSNSからもキミがいなくなって何年もたって、楽しそうに選手の事を話すキミの顔を段々と忘れてきてしまったような気がする。
でも、キミと二人で過ごしたコンサドーレとの時間は、なぜだか歳を重ねるにつれ色を帯びきている。
ドームの急な階段を一気に駆け上がった時間。
提灯がたくさんぶら下がっていた居酒屋でユニフォームを着たままビールで乾杯した時間。
二人で一つのつり革を掴んで乗った地下鉄で、お互い見知らぬ年老いた男女が今日の試合の感想を話しあうのを、微笑ましくみた試合後の時間。
そのすべての記憶が、シーズンが進むにつれて色を帯びていく札幌の街と同じように、鮮やかになっていく。
「キミは今でもどこかで”コンサドーレ”を楽しんでいるのかい?」
僕たちが出会った頃のようにコンサドーレはJ2に”戻って”きたよ。
2025年も、赤黒のクラブが、あともうちょっとの辛抱で札幌の街に「ホーム開幕戦」という春を連れてくる。
キミはどんな風にその日を迎えるの?
僕はきっとまたいつものように楽しんで、勝利を求めて全力で応援してしまう。
僕の悪い癖だろう?忘れっぽいのは。
せっかくキミが教えてくれたに。
「シーズンの始まりはいつも調子が悪いの」ってね…。
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