くすのき交換ノート「幸福になるためには?~思想の一部~」

 5/9の朝会で色々と話ながら、自分の今の考えに影響を与えたものは何だろうとふと思ったので、いくつか紹介したいと思います。

人生を幸せにするものは何か?

まずは、以下のTEDトーク
「ロバート・ウォールディンガー
人生を幸せにするのは何?最も長期に渡る幸福の研究から」
https://www.ted.com/talks/robert_waldinger_what_makes_a_good_life_lessons_from_the_longest_study_on_happiness?language=ja
 このTEDトークでは、Grant Studyというハーバード大の男子学生とボストンのスラム街にいた青年合わせて724人を75年追跡調査し、人生の幸福度に最も寄与した因子は何かを調べた研究が紹介されています。追跡調査の結果、人生の幸福度に最も関与したのは、富でも名声でもなく、良い人間関係を持つことでした。良い人間関係といってもただ友達が多いとかではなく、どれほど信頼のおける関係を作り上げられたか?ということが健康にも幸福度にも大きく影響していたのです。

幸福度が最も関係するのが人間関係である理由

ではなぜ幸福度に最も関係するのが人間関係なのか?その答えとして個人的に考えているのは、遺伝子的な視点で見た人間の性質です。この考えは、特に利己的な遺伝子、進化心理学的な考え方に大きく影響を受けました。

「リチャード・ドーキンス 利己的な遺伝子」
「進化心理学から考えるホモサピエンス」


 人間は原始時代から集団で生活をしていました。集団で狩りをして、集団で共有して、集団で助け合って生きてきたのです。集団で生活しなくても生きていけるようになったのは文明が発達したほんの数千年前のことで、人類の歴史800万年を24時間にするとほんの数秒のことです。基本的に人間の遺伝子には、集団に属していないと生きられなかったときの感情反応が組み込まれています。原始時代、集団から外れることはすなわち死を意味しており、それを強烈に嫌う感情が備わったと思われます(正確に言うとそれを嫌わない遺伝子は残らなかった)。逆に言うと、人間には集団に属したいという欲求が備わりました。
 個人的には、この集団に属していたいという欲求は、生存欲求と同じくらい強いものだと思います。なぜなら、集団に属することが出来なかった人間は自ら命を絶つこともあるからです。利己的な遺伝子的に考えれば、自殺するということは自分の遺伝子を残せないということなので非常に不可解な行動に見えます。しかしながら多くの人間が自殺という道を選んでいます。自殺した人の心理を知ることは難しいですが、想像するに、自殺する人の多くは自分に存在価値がない、共同体の一部として受け入れられないという感情が生まれ、その結果命を絶つという選択をしていると思われます。その苦しさは、生存したいという動物としての欲求すらも押さえつけてしまうほど苦しい感情なのです。人間にとって集団に属する、共同体の一部であるという感覚は基本的な生存欲求より強い可能性があります。
 そして逆に考えると、人間は集団に属することに心地よさ、幸福を感じられるように進化したとも考えられます。例えば、友達と熱く語り合った、部活で一つのことを成し遂げた、会社で一つのことを成し遂げた、趣味の合う人と出会った、愛する人と一つになった、など、何か自分とは別のものと融合する感覚は、強烈に自分が共同体の一部であることを感じられる瞬間でもあります。良い人間関係を持つというのは、そういう共同体感覚を持つことに繋がります。人間にとって集団に属したいという欲求が基本的な生存欲求よりも強いものだとしたら、幸福に最も関与するのが良い人間関係だというのも納得できるのです。

良い人間関係の築き方


 ではどのような人間が、良い人間関係を築けるのでしょうか?そこでヒントになったのは、「GIVA&TAKE〜与える人ほど成功する時代〜」という本です。この本では、人間を次の3つの性格に分類しています。

ギバー:人に惜しみなく与える人、他者貢献、利己的。
マッチャー:与えると同時に見返りのバランスを求める人。
テイカー:真っ先に自分の利益を考える人、自己中心的。

これらの内、どの性格の人が社会的に成功しているのかを調べたところ、一番成功していたのはギバーだったいう結果になりました。
 なぜ一番成功したのはギバーなのか。それは、ギバーは良い人間関係を作ることができ、その人間関係がビジネスでも思わぬ福音をもたらすからでした。いつも人に惜しみなく与えることが出来るギバーは、人から信頼を得ます。信用ではなく信頼です。信用というのは、銀行でお金を借りる時のように、何か担保があるからこそ生まれるものです。信頼は担保なしに、根拠なしに人を信じるということです。ギバーは見返りを求めることがないので、相手に何か担保がなくても与えることをします。そしてその結果、相手からも同じような信頼を得ることになります。その関係性は非常に良い人間関係を作り出します。なぜそうなるかといえば、信頼するという行為は、相手の存在を根拠なしに認めること、相手のありのままを受け入れるという行為になるからです。お互いをありのまま認め信頼し合う関係というのは、人間関係において最も強固な繋がりになります。この人と付き合っていたら何か利益があるかな、と思って付き合っていてもなかなか良い人間関係は作れません。仲のいい友達のように、家族のように、その人と付き合うことに利益など求めないからこそ良い人間関係を作ることが出来ます。実際、自分の周りの人を見ても、人に惜しみなく与え見返りを求めない人は信頼を集めていますし、何かあれば助けてあげたいなとも思います。ギバーは、常に自分から手を差し伸べるからこそ、色んな人と握手し、信頼関係を構築することが出来ます。それが結果的に良い人間関係を構築していくのです。
 ただし、この本ではギバーが全員成功する訳ではなく、逆にまったく成功できず苦しい環境におかれるギバーが存在することも分かりました。いつも他人のために惜しみなく与えているギバーは、時にはテイカーに酷い目に合わされてしまいます。そして、成功できないギバーは、いくら酷い目にあっても自分の時間を割いて他人に尽くしている、いわゆる、「自己犠牲的なギバー」であったのです。自己犠牲的なギバーは、他者に尽くすあまり自分が不利になる状況を作りやすくなります。そしてこういう自己犠牲的なギバーがテイカーに出会ってしまうと、骨の髄までしゃぶり尽くされてしまうのです。
 ギバーと自己犠牲的なギバーは他者に尽くすという点では同じですが、他者と同じくらい自分にも尽くしてあげられるか、という点で違います。自己犠牲的なギバーは、自分には尽くしてあげることは出来ません。いつも他人のことばかりを優先してしまい、自分は割を食うということが多くなります。他人には尽くすことが出来るのに、なぜ自分には尽くすことが出来ないのでしょうか?ここを理解するのに、交流分析という心理学が役に立ちます。

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自己犠牲的なギバーが自分には尽くすことができない理由

 交流分析にはOKグラムという人の性格を分類する手法があります。縦軸にI am not OK, I am OKが並び、横軸にYou are not OK, You are OKが並びます。この表は自己肯定と他者肯定の程度によって分類されます。自己犠牲的なギバーは、I am not OK, You are OKタイプが多いです。I am not OKとは、自分はありのままではダメで、何か有益なことをしていないと存在価値がないと思う感覚です。そして、他者のために何かをすることで価値を感じたいと思っています。自分の存在価値のために他者に尽くす行為は、一種の過剰適応、過活動タイプの原因となり、体なり心を病んでしまうことにもなります。逆に成功するギバーはI am OK, You are OKのタイプに当たります。相手だけでなく自分も大切にすることができ、自分が消耗することなく良い人間関係を構築します。
 ではどうしたら、I am not OKと思っている人が、I am OKという気持ちに変われるのでしょうか?それを探るには、I am not OKの人と、I am OKの人の違いを見ることにあります。I am not OKと思うタイプの人は、幼少期から今まで、ありのままで承認された経験が少ない人に多いです。小さい頃から、テストの点数や偏差値で価値が決まってしまうような環境であったり、本来庇護者であるはずの親からネグレクトを受けたり、学校でイジメを受けたりなどです。一見外から見たら理想的な家庭であっても、子供自身がありのままで受け入れてもらえたという感覚が無ければ、I am not OKとなってしまいます。逆にI am OKタイプの人は、ありのままで受け入れられた経験が多いです。生きているだけでいい、あなたがいるだけで嬉しい、そういった無条件の愛・承認を受け取った人たちは、存在しているだけで承認されている感覚を持つようになります。自分が他者に受け入れられるということにいちいち疑いを持たなくなります。そして、I am OKと思える人たちは、自然とYou are OKという気持ちも持ちやすくなります。なぜなら、自分が生きているだけで承認されるべき存在であるならば、他人も同じように生きているだけで承認されるべき存在であると思えるからです。

自己犠牲的なギバーがギバーになるために


 では、現在I am not OKの人がI am OKになるにはどうすればいいか?それには、圧倒的なYou are OKであるというメッセージを今からでも受け取ることにあります。小さい頃から親や周りからYou are OKというメッセージを受け取ってきた人たちは自然とI am OKと思えます。しかし、大人になるまでそのメッセージを受け取れずI am not OKとなってしまった人は、今からそのメッセージを受け取るしかありません。ただ難しいことに、社会に出ると、無条件の愛や承認を得るということはとても難しいのです。○○ができるから認められる、○○したから認められる、といった条件づけの承認で溢れています。条件づけの承認をいくらもらっても、その条件が満たせなければ自分は承認されないという不安がいつまでもつきまといます。
 それでは大人になってからの無条件の愛・承認にはどのような物があるのでしょうか?
 一つは、ギバーの人から渡されるギブです。ギバーは無条件に愛を与える人なので、どんな人にもまずは手を差し伸べます。ギバーが身近にいる人は、その人からYou are OKというメッセージを受け取ることができるでしょう。そして無条件の愛・承認を受け取る体験を経ることで、いつしか自分が満たされていきます。そして今度は、自分も同じようにギブする側になっていきます。
 もう一つ、宗教的な救いを得るという人もいるでしょう。例えば、キリスト教、イスラム教のように神を信仰し、その神からの承認を得るという方法です。その宗教を信仰している上では、神の許し、圧倒的なYou are OKというメッセージを受け取ることが出来ます。人間が古来から宗教、神というものを必要としてきた理由が分かります。日本でも神道など様々な宗教がありますし、かつてオウム真理教なども流行りました。いつの時代にもI am not OKで苦しんでいる人間がたくさんいるのだと思います。
 また、科学的な承認を得るという方法もあります。科学的な承認とは、科学の知識を使って、自分がこの世界、宇宙の一部であるという認識を得るということです。詳しく説明すると、まずこの宇宙というのは、ビックバンにより点から始まりました。今現在宇宙は膨張し巨大空間となっていますが、もとは一つの点から生まれたものです。巨大でバラバラに見えるこの宇宙も実は1つであり、あらゆるものは相互に関係しあっています。これは量子力学の世界でも、量子のもつれという現象で、宇宙空間のどんなに離れた物質も何らかの繋がりが存在すると証明されています。つまり私達一人一人も、バラバラな個人なように思えて、実はこの宇宙の構成する一部として必要とされているということです。存在するだけで、この宇宙を構成するという大事な役割が与えられています。仏教思想もこれに近く、自分はこの世界の一部であるという感覚を大事にします。その感覚を体感できることが悟りの一つとされています。ここを理解することで、I am OK、存在しているだけでいいという感覚を得ます。
 最後の一つは、自分で自分を承認することです。これは、常に自分を客観視する視点を持ち、私という枠組みを超えた目線から自分を受容するという方法です。例えば、仲のいい友達が何か失敗をしたとき、何と声をかけるでしょうか?「でも頑張ってたもんね」「次また頑張ろう」といった声かけになって、「おまえやっぱダメだな」という声かけにはならないでしょう。それと同じように、自分が何か失敗してしまったときは「やっぱ自分ダメだな」ではなく、「でも頑張ってたもんな」「いい所もあったよ」と、自分を仲の良い友達かのように眺めて言葉を投げかけてあげます。その時の視点は、次元が一つ上がり自分を客観視しており、他人と自分を並列に置きます。今流行りのマインドフルネスなどはこういう視点を養う訓練になります。このように自分を超えた視点から自分を受容することで、I am OKという感覚を養います。

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 I am not OKと思っていた人が、I am OKと思い生きていけるようになると、それだけで生きづらさから開放されます。そして、I am OK、You are OKという感覚を持つことが出来れば、自然とギバーに近づき、良い人間関係を構築することが出来るようになります。これが人間にとって幸せになる大事な要素ではないかと思います。

#くすのき学派  


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