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10年後の今日

最近、Ekialo Kionaと呼ばれる
保健センターのようなところに通い始めました。

僕のホストマザーの経験もあって、
ここの保健系の事情について
知りたいと思ったからです。


ここでは、急病・怪我になった患者を救急ボートで運んだり、HIVに感染した人たちの心理的サポートを行っていたり年に何度かあるサッカーイベントに医療班として帯動したりしています。


ここはアメリカの団体からの資金によって建てられた建物で、一人アメリカから派遣された方が駐在的なポジションで働いています。


以前話す機会があって、僕も彼もこの保健センターによくいるので話すことが多かったのですが、今日も朝御飯を食べながら話していました。

最初はいつものように保健センターでやっていることを聞いていたのですが、話しているうちに話が深くなってきて、なぜ僕がここに来たのかという話になりました。

僕は大学の学生NGOに所属していて、そのときにカンボジアの農村部に滞在していたのですがそれは長くて一週間ほど。農村部の生活を見れるのも調査に集まった人たちを見るだけで、彼らの話を通してしか途上国の生活を知ることはできませんでした。僕は見て感じてやっと自分の中に落とし込める人間なので、なんだかモヤモヤしたまま団体を引退しました。


そういう背景もあって、農村部に住める今の団体を選び、いろいろあって今に至るという話をしていました。

さらに話は深くなり、彼がこの場所に対して思うことを聞きました。

それは今まで僕が書いてきたような、途上国に住むということが何を意味するかという話です。

ムズングはその個人が誰であれ、お金を持っていると見なされること。彼がホームステイしている家のホストマザーは、他の家からお金を借りることができないそうです。理由は彼がいるから。たくさんお金をもらっていると思われて、嫌がらせのような仕打ちを受けているらしい。


何より悲しいなぁと思ったのが、アメリカからケニアに来て、この地のために尽くそうと思って働いているのに、それがここの人を苦しめてしまってもいるということ。


彼が家にいなかったら、ホストマザーは周りから拒まれずにすんだかもしれない。

でも彼がいなかったら、円滑に保健センターでの事業を進めることができなかったかもしれない。

お金のことに関して彼が言っていたのは、

「僕はお金を渡しに来たんじゃなくて、別の形でここに貢献しに来たからお金やものを期待されても渡さないようにしている。洗濯も自分でして、できるだけ僕が彼女にお金を渡して家事をやってもらっているわけじゃないんだよっていうのを地域の人にアピールするようにしてる。」

ということでした。最もだと思います。僕も似たようなことを思っていたから。以前子どもにせがまれたときできるだけ渡したくなかったし、お金を持ったムズングじゃなくて、家族の一員として自分を見てほしかった。


国際協力をするって、何なんだろう。


二人でそんなことをしばらく話し合っていました。


国際協力の文脈では、住民の主体性が重視されます。外部の人が「これをやれ」と言って無理に事業を推し進めるのではなく、いかに住民が主体的に自分の住んでいる場所を変えていこうと思って事業を進められるかという観点です。

無理に進めた事業は持続性がなかったり、本当に住民のためになっているとは言えなかったり、いろいろと問題を抱えることになります。


そんな話を二人でしていて、何がきっかけかは忘れましたが、僕はこんなことを口走っていました。


「説明が難しいけど多分僕は、途上国に貢献したいっていうわけじゃないのかもしれない。たとえば、こっちで頑張っている人がいたら、指一本くらいの力で後押しして力になれるような、そんなことがしたい。」


こっちで頑張っている人を後ろからすこしちょんと押して、それが一歩進むきっかけになれるような、そんなことをしたい。自分の中の国際協力は、そんなものであってほしいと無意識に思っていたのか、
それとも英語で話していたからこういう言葉選びになったのかはわかりませんがなんとなく今こうして振り返っていて、やけに腑に落ちるものがありました。


ここに来てから強く思うんですが、ここには情熱をもって働く人がいます。彼らの情熱の向かう先は、生まれた地域の保健のこと。ここに生まれてくる新しい命を守るために、怪我や病気を防ぐために、情熱をもって働いている人たちがここにはいます。


そんな人たちをみたら、自分が何かしようなんて気はなくなりました。彼らは彼ら自身できっとやっていけるし、自分がなにか下手にやって事を悪くしてしまったらとすら思います。


もちろんそんな人たちや機会のない場所もあるかもしれませんが見たもの感じたもの主義なので、僕は今ただ彼らがやっていることを日本の人たちに伝えることくらいしかできませんし、それだけでも十分じゃないかなと思います。


僕はまだ22歳で、これから色々経験して自分なりの国際協力を見つけていく途中にあると思うのですが、今日はなんとなく人生をかけた問いの答えという点で大きな一日になったんじゃないかな~と感じます。

こういうことって答えがないから、人生かけて突き詰めることだよね難しいけど、向き合って考えなきゃいけないよねと話していました。

彼は今23歳で、一歳違い。同じように年を取って、どういう答えを彼は出すんだろう。こういう出会いがあるから人生楽しいなぁと思う。

10年後振り返ったとき、今日はどんな経験になっているかな。




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熊谷拓己
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