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認識をすることで克服できること。-社会建築家はやかんをつくる-

たくみくん、ここ何年か私の学生で色覚異常の子が結構いるんだよね

2019年7月ごろ、知り合い先生からふと言われました。
 
『そんな、ばかな!』と私は返事をしました。

彼女は美大の先生です。その教え子は当然デザインを専攻しています。返事をしたトーンが上記の様になってしまったのは、将来の夢であるデザイナーでは”色彩感覚”は重要なスキルだと思っていたからです。

先生曰く、平成13年から色覚検査が廃止されたそうです。たしかに記憶を辿ると昔小学生の頃色の検査を行ったことを思い出しました。

ちょうどその頃、仕事である企画ブランドを作っていたのですが、非デザイナーのチームメイトと色の使い方や文字配置などで揉めていて、先生の言葉からもやもやしていたことに合点がいきました。

『なぜ!わからないんだ?』

同時の企画ブランドづくりで行っていたことは、”企画の名前”と”ロゴ”、”企画コピー”、”HPの作成”、”リーフレット”を同時に行っていました。

ラフ制作の段階では何も問題なくチーム内でも、『これはいいブランドになりそうだ!』という実感が日に日に高まっていました。

ブランドづくりでの意思決定チームメンバーは私を含め3名。私以外はいわゆるデザインを学んだことはありません。

ラフが出来上がり、私と発注先のデザイン事務所のディレクター※ライター出身、とのやりとりも順調でした。彼女の事務所は、新進気鋭で、『よくこんな金額で受けてくれたなぁ感謝』と今からは思えます。約一年経った今では、事務所の代表が経済雑誌の表紙を飾ったりと既に世に羽ばたいてます。

企画自体は、まさに社会建築の分野だったので、リーフレットに掲載する文書を考える時に必要な、どんな社会背景があるか?政策的意味などを伝えながら、チェックバックを繰り返していました。

彼女もストレスが溜まったでしょうが、良いものを作りたい、というところでは一致していました。ここでいう良いものの定義とは、提供する社会サービスがしっかりとターゲットに届きアーリーアダプターがその社会サービスを利用する、その目的達成できる制作物が、良いもの、でした。

構成も固まり、ラフデザインから本デザイン候補も順調に出てきました。

私の目からは、候補作品の方向性は満足いくものでした。どのデザインが本採用されても、最後のブラッシュアップをすればとても良いものになる、そう確信していました。

社内での打ち合わせ時に、メインメンバー含めた全メンバーとデザイン事務所のディレクターが参加し、あとは候補を決めることになりました。

それからの2週間は地獄が始まったのでした。

色覚検査において異常と判別された方であっても、大半は支障なく業務を行うことが可能であることが明らかになってきており…

上記の言葉は、厚生労働省大阪労働局のHPに記載ある、色覚検査の廃止についての冒頭文です。

業務は、というか、仕事は現在多岐に渡っています。特に今必要とされる能力はデザイン力です。

いわゆるメンバーシップ型雇用ではジョブローテンションが行われてること前提での総合職雇用が多いです。

総合職という色々な仕事があるなかで、”資料作成”はもちろん、”情報を届けるSNS運用”まで、大企業から個人事業主にいたる全てのアカウントに属するビジネスパーソンはデザイン力が欠如していると、今の仕事で望む成果は得られないでしょう。

現代のビジネスでは、コミュニティーの醸成が不可欠ですし、そのためにはHPといった一定時期にコストをかけ専門家に頼んだら出来上がるものだけではなく、日々の情報発信が必要なSNSが醸成には利用されています。

SNSは身近な存在になったももの、ターゲットにリーチするには、文章や写真などデザイン力が必要です。

みなさんの日々の仕事の中で、デザインしない時はありますか?※仕事における必要なデザインの話はまたいつかに。

そんな仕事を行う日々、実は自分が色彩異常だったと知らずに作業をおこなったり、そればかりか何かの意思決定を行うプロセスで自分の身体で異常があることを知らないまま意思決定に参加する。とても恐ろしさを感じます。

足るを知ることの必要性それは認識すること

地獄の2週間とは、木造建築というデザインを学び社会建築家を自称する小職や、ライター出身であるデザイン事務所現役ディレクターが、発注者※小職も発注者なのですが、からヒアリングを行い、ラフデザインの意思決定も終わり、候補デザインから本採用を決める段階まで準備した制作物について、色が違う、余白が変という理由不明確な意思決定に振り回させるという現象でした。

どんな専門家でもコミニケーションプロセスを間違うこともあり、ミスもあります。

理由が説明できる違和感からの発注者からのオーダーなら最終修正するデザイナーも納得するでしょうし、説明が必要ならば説明し、意思決定を仰ぐでしょう。

怖いのは、オーダーする側が自分の足るを認識せずにビジネスキャリアを積み、意思決定プロセスに入った時、そこです。

冒頭の知り合いの先生から聞いたことで、このブログで書きたいことを思ったのは、本来だったら知り得た自分の個性を、知る機会すらなく、足る個性がとても必要な世界に飛び込んでしまった時、そこで知った時の絶望感はないでしょう。

自分にはなにが足るのか?を認識することが全ての社会建築の一歩に繋がるのではないでしょうか?

文中の企画ブランドづくりは、粘り強くデザイン側の主張とオーダーの行き来のすり合わせを行い、無事に納得あるデザインに仕上がり、企画自体も2年目となりますが引き続きそのデザインが踏襲させてます。

コミュニケーションプロセスや意思決定プロセスなど、ここで紐解かなければいけない因果関係はたくさんありますが、それはまた次の機会に。

終わりに

デザイナーで色彩異常を持っている方が、乗り越える試行錯誤をnoteで公開しています。ご参考まで。

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