20年以上前に手汗が凄くて手術した話①
僕は物心付いた時から手汗が凄いのが悩みでした。
どのくらい凄いのかと言うと、例えば学校のテストで鉛筆をもってる手から滴り落ちる汗でテスト用紙がぐちゃぐちゃになったり、手にハンドタオルを持っているとタオルが水に浸けたようになるくらいでした。
一般的には緊張すると大なり小なり手汗をかくと思いますが、僕の場合は緊張した時はもちろん、緊張していなくても何かの拍子に手汗をかきはじめることがあり、一旦手汗が出始めると数時間止まりません。。
そのため1日の睡眠時間を除いた時間の約半分はほぼ手汗をかくような状態でした。
思春期の頃は特にそれがコンプレックスで、人と手を繋ぐことは絶対にしたくありませんでした。
ただ残念なことに、高校の体育祭の行事で男女で手を繋いでフォークダンスを踊る演目がありました。
(最近でもそんなこと高校や中学でしてるんでしょうか?LGBTとかが叫ばれる世の中なので、していないような気もします)
高校1年の時にその時間が嫌で嫌で、たまりませんでした。。
意識すればするほど手汗をかくし、フォークダンスの間に入れ替わり立ち替わり相手になる女子はみんな驚いた顔をするし、中には露骨に嫌がる表情をする人もいました。
それでも何とか高校1年の時は頑張ってやったのですが、もう同じ経験はしたくないと思っていた時、たまたま新聞で「手掌多汗症の治療が内視鏡でできるようになった」という記事を見つけました。
また幸運なことに、その時の第一人者のような医師が、自分の住んでる県内の病院に勤めていることが記事に書かれていました。
これだ!これしかない!と思い、親にすぐに相談し、その記事に書かれている病院に行くことにしました。
ただ同じ県内の病院と言っても自分が住んでるところから数十キロ離れていたため学校を休ませてもらい、親も平日で仕事だったため 1人で列車に乗って2時間くらい掛けてその記事の先生に会いに行きました。
その時、病院で先生に聞いた話だと、手掌多汗症の根本治療には背骨の横に左右通っている神経を切る必要があり、それまでは胸部を大きく切開し、メスで神経を切るしかなく、大手術にならざるを得ず危険度も高いものしかなかったところ、時代とともに内視鏡の技術が発達したため、現在では大きく切らずとも体に小さな穴を開け、そこから内視鏡を入れ背骨近くまで侵入させ、神経を切ることができようになったとのこと。
ただ安全性は高いとは言え、成功率約95%であると先生は話してくれました。
その説明を聞いた時に思ったことは、手術の怖さとか、失敗したらどうなるかという恐怖ではなく、これを乗り越えたら、生まれた時からのこの苦痛から解放されるんだ!という希望や喜びでした。
先生には、家に帰ってから親に相談はするが、自分としてはぜひこの手術を受けたい、と伝えました。
その時先生は色々と親身になって話を聞いてくれました。
また僕の症状がどのくらいなのかを見たいと言われ、両掌の先生に見せました。
この時ももちろん手汗をかいています。
それを見た先生の顔が少し強張っていました。
そして、しばらく僕の手のひらを見つめた後にこう言いました。
「‥‥辛かったね。これはした方が良い。頑張ろう。」
やはり自分の症状は軽いものではなく、この手術は自分にとって乗り越えないといけないものだと、17歳の僕は思いました。
病院を出て最寄りの駅までバスで移動して、そこからまた2時間列車で家まで移動するのですが、その車窓で海に落ちていく夕日を見ながら、治療を頑張ろうと覚悟を決めました。
続く