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憧憬の地 ブルターニュ で感じたこと

国立西洋美術館の企画展
『憧憬の地 ブルターニュ』
に行ってきて感じたことをつらつらと。

※美術展・作品についての感想はありません

同じものにもいろいろな側面が

画家によって物の見方が違えば、

同じブルターニュの海を描いてる作品でも
・海の荒々しさを描いてる作品
・海の包み込むような温かさを描いてる作品
などさまざま。

画家によって偏りがある人もいれば、
同じものを様々な側面で描いてる画家もいる。

見方はそれぞれだし、
同じものでも色んな顔があるもの当たり前。

人間の気持ちも一瞬の間に、
楽しいが0か100ではなく、
他の気持ちも混じってる。

グラデーションのはずなのに、
一言で全てを表そうとしてしまう。

それじゃあ、
感じていることは
全部伝わらないよね、と。

裏側にはいろいろなものが
詰まってることを認識していかないと、
と思った。


禁止されるとしたくなる

だいたいの作品は撮影禁止。
だけど、一部撮影OKな作品がある。

けっして有名な作品だとか、
そういうわけでもなさそう。

撮影OKな作品は、
ほとんどの人が写真を撮っている。

ただ、撮影OKな作品だから
写真を撮っているのだろう。

とりあえず撮っておこう的な。

そして、全作品撮影OKなら、
その作品はあまり注目されないのでは、
わざわざ撮影しようと思わないんじゃないか、
と思うようなものも撮影される。

禁止されてから解放されると、
行動を取りたくなる。
これは真理なのかな、と。
(コロナ明けの旅行とか、買い物とかと一緒かな)

あと、やっぱり
作品をちゃんと見てから
この作品は撮ろうと決めるのではなく、
とりあえず写真撮ってから作品を見る人がほとんど。笑
(自分もけっこうそうだけど^^;)


音声ガイドの良いところ

もちろん音声ガイドは
作品についての詳しい解説をしてくれること。

それによって、
作品の奥深さを知り、味わいを変えてくれる。

それだけでなく、
音声ガイドは端末とイヤホンであることに
良さがあるのではないとか思った。

まるで、自分だけに解説してくれているように感じるから。

映像がこれだけ発達してても、
未だにラジオの根強いファンがいるのと
おそらく同じではないかと。
(ラジオ聴かないけど、、、)

今回は音声ガイドを付けなかったけど、
ふとそんなことを思った。笑

ちなみに、今回のナビゲーターは女優の杏。
誰がナビゲーターをするのかも大事。笑

途中から音声ガイドを付ければ良かったと後悔した。。。
迷ったら付けるべし。

あと、
せっかくならちゃんと知りたい、
失敗したくないという気持ちもあるのではないか。

美術展はだいたい2000円くらいかかる。

それだけのお金を払って、
なんなら交通費や時間も使って
見にきているので。
(何度も来るものでもないし)

無駄なものにしたくない
からちゃんと価値を味わいたい、みたいな。

普通に音声ガイド600円も
高いっちゃ高いとも思うし、
入場料とは別にかかるので、
それを払わせるだけの力がすごいなと。


我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

今回の展示作品にはないけど、
ゴーギャンの最も有名な作品の1つ。

我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか

これは企業の存在意義を規定するのに
良い問いだという。

確かに、過去・現在・未来を通して、企業が
何を実現してきたのか・これからどうあるべきか
を全部語ることができる。

じっくり考えていきたい。


世界は0か100ではない
禁止は行動を誘発する
自分だけの特別感

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