横浜赤煉瓦倉庫に、サンタは何時やってきたのでしょうか?
よく言われるように、仏教徒がクリスマスを祝い、正月には神社へ初詣に行く日本社会。年末にはマスコミを賑わすクリスマス風景の報道は、毎年華やかですよね。
この時期TV画面によく映し出されるのが赤煉瓦倉庫の風景。
みなとみらいは、ショッピングモールを含む巨大なクリスマスのイベントエリアになります。
キラキラした町並みを多くの人々がニコニコしながら歩いています。
でも昔の横浜を見渡すと、どんな風景だったのでしょうか。
すこし色褪せた記憶の中の風景。
昭和40年、1960年代の話です。
小生が高校生の頃、通っていた絵画研究所のアトリエが横浜野毛にありました。
毎日石膏像を見詰め木炭デッサンで手を真っ黒にし、翌日にはキャンバスを抱えて横浜の風景を描きに出かけていました。
よく描きに行った場所は、赤煉瓦倉庫、山手教会、日本大通りイチョウ並木の風景などなど。
寒いクリスマスの時期も暑い夏休み時期も、てくてくキャンバスを担いで歩いたものです。
クリスマス商戦の街のディスプレイも並木のイルミネーションも、まだ横浜市内には殆どありませんでした。
あったのは盆踊りや縁日などの日本古来の風物の祭り。
そう開港記念日のパレードは、もう始まってました。
野毛の研究所から歩いて、港までは30分くらいの距離です。
ここら辺りは大岡川に沿って歩くと、川に掛かる石橋と背景の街並みがけっこう絵になる風景です。
特に気に入っていた風景は、赤煉瓦倉庫の夜の風景。
ここにはまだ税関の事務所が残っていてました。
赤煉瓦倉庫の地帯は、フェンスで囲まれており、踏切にあるような遮断機が設置されてました。
画学生は「倉庫を描きに来ました」と会釈して通っていました。
そんな時代です。
再開発とかそんなものは影も形もない時代です。
街灯も全く無く、付近は真っ暗な闇だった記憶があります。
ただし赤煉瓦倉庫は、それなりに見えてました。
すこし記憶が曖昧になっているかも知れません……。
絵のイメージとしては、ゴッホの「麦畑の夜景」に近いかも。
マリンタワーや氷川丸はすでにあった時代です。
暗い中イーゼルにキャンバスを掛け、ペイントナイフで油絵の具を重ねていきます。
黒い夜空を背景に巨大な塊(かたまり)だった赤煉瓦倉庫は、誰かがじっと佇んでいるような存在でした。
今思うと、戦前を知らない青年が、教えられていない戦争と敗戦直後の闇を見詰めているような感じでした。
当時の横浜とはそんな空気がありました。
伊勢佐木町商店街ではヤクザさんのドンパチもあり、小生の住んでいた黄金町阪東橋という町中にもストリップ劇場が営業していました。
野毛の商店の女将さんからは、ここら辺りの土地は終戦直後、三国人たちが縄を張って「ここは俺の土地だ」みたいな光景が日常だったと聞きました。
これが小生の記憶に残っている、横浜の長い暗い時間の流れです。
やがて青年は親になり、娘の結婚式もこのエリアのホテルで行っています。きらびやかな娘の結婚式と、何十年前かに見ていた赤煉瓦倉庫を囲む黒い空間。
いつの間にか黒い空間は消え、横浜の街にサンタがやって来ました。
サンタの乗るソリからシャンシャンと鈴の音がしています。
随分とキラキラしているなぁ……。
すこし眩しい……。