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自己紹介〜自分らしく生きると向き合う〜



1.ご挨拶

初めまして。たくみです!

大手電力会社から転職して1年が経った現在地について、
自己紹介も踏まえて記します。

現在は会社員や副業をしながら、
GOAL-Bさんが提供している「JCC認定キャリアコーチ養成講座」に
1期生として参加しています!

それなりに勉強し、部活に取り組み、
世間的には安定・安心と言われる大手会社に入社しましたが、
心が満たされず、
人生に葛藤していた様が見て取れると思います。

それではどうぞ。

2.今何をしているか

2-1.プロフィール

一ツ矢拓臣(ヒトツヤタクミ)
1989年5月25日 A型 34歳双子座

2-2.現在やっていること

(1)会社員 ペットフードメーカー 営業、事務等

(2)副業物販(EC販売)

(3)コーチング(2024年5月時点でJCC受講中)

3.過去どんな人生であったか

3-1.幼少期

1989年に福井県で長男として誕生
母親に過保護に育てられ、
幼稚園に入るまでは友達と遊んだ記憶はあまりなく、
幼稚園に入った際は人が怖くて最初の3日間はずっと泣いていた記憶がいまだにあります。

しょっちゅう職員室のインコと会話していた変な子でした^^

母親がたくさん学びの場を提供してくれたので、
世界の国旗を全て覚えたり、
公文や英会話に行っていたので頭の回転が割と早くなったりと、
何でもそれなりにこなす地頭が形成されたきっかけとなり、
その点は母親にとても感謝しています。

父はサラリーマンで忙しくしていましたが、
休日にサッカーをしたり、
屋外でアクティブなことで関わりをもってくれて、
特に球技に関する運動神経が伸びました。
球技が得意なことは、人生を楽しむ一つのきっかけになったので、
これも父親に感謝しています。

3-2.小学生 自分の強みと弱み いじめと向き合う

小学3年生から、
幼稚園からの友人に誘われてバスケットボールスポーツ少年団に入り、
元々の球技や運動神経面の能力により、
3年生からすでに6年生の試合に一人だけ抜擢され、
将来のエースとして期待されていました。

しかし、5年6年になるにつれ、
同級生の子の運動神経が発達して自分を越える子が出てきたり、
バスケセンスも自分を超えてくる子が増え、
6年生時点ではエースとは程遠く、ギリギリスタメンに入っているメンバーになっていました。

どんなことでも始めた時は人より卒なくこなせたり要領よくできてしまう強みがある一方、
自分を成長させ続けるという点で弱みがありました。
これは社会人になってから気づくのですが、
僕が「人の目を気にする」「比較癖」「自信していない」こんな僕のビリーフ(信念)が邪魔をしていました。

また、
小学校5、6年の時、
クラスで目立って割と威張っている自分が嫌いだったクラスメートに対し、
その感じをあからさまに全面に出していたら、
そのグループから外され、自分としてはいじめを受けたような体験をしました。
また、同時期に女の子があからさまにいじめを受けていた子がいたのですが、助けたらさらに自分もいじめを受けると思い、なるべく関わらないようにするという情けない行動もとっていました。

結果的に先生が「いじめ」に関してクラス全体で本気で向き合ってくれる機会をもうけてくれたので、
その女の子も救われ、自分も心救われたのですが、
その時から、誰にでもいい顔をして、
自分が攻撃されないよう八方美人に生きる。上辺の関係性で生きる。
自分を押し殺して生きる。
こんな人生が始まったと感じています。

3-3.中学生 部活一筋 負けず嫌い

中学生はバスケ部、勉強一筋といった3年間でした。

バスケについては、
県最低身長チームでしたが、
それでもやれる。勝ちたいって思いをずっと持っており、
3年間死ぬ気で練習したことを覚えています。

小学校は県ベスト4。中学生は県ベスト8で幕を閉じました。
自分はスタメン落ちで6マンという立場でしたが、
最後の大会前にスタメンの1人が骨折し、
その子の想いも背負い、自分の心のハートが最高潮に燃えて取り組むことができました。
バスケットボールが好き。
そして熱い仲間と熱い想いをもって突き進むのが本当に最高だったなと。
最高の経験ができました。

勉強に関して、
負けたくない。良い高校にいって母親を安心させたい。将来良い大学に行って良い会社に入りたい、
そんな想いで誰よりも勉強に時間を使いました。

学校成績は2位〜5位くらいに常に位置し、
無事に目標としていた県内トップの高校に進学することができました。

勉強に関しては、
努力すればできるという信念のもと、
塾や家庭教師の力も借りつつ、手段をフル活用してGOALを達成した経験ができました。

3-4.高校生 バスケ挫折 勉強挫折 努力

進学校のバスケ部に入り、
毎日の練習時間はほぼないにも関わらず、
県2位、北信越ベスト4というとんでもない強豪校でした。

3年生になった時には同級生は半分以上やめた状況でしたが、
それでも1度もレギュラーに上がることができませんでした。

Bチームがコンフォートゾーンになっていたと感じます。本心を言うと、もうレギュラーとして試合に出れなくてもいいやという感覚でした。
県トップレベルのメンバーが揃っているので見ているだけでいい。自分の可能性に蓋をしてしまっていたなと今思うと感じます。
その一方で仲間を心から応援するという立場を味わうことは一つ良い経験でした。

それでも最後まで部活を続け、
僕たちの代も北信越ベスト4まで進むことができ、
最高の仲間で最後は涙を流して終えることができました。

勉強に関しては、
入学した時点のレベル確認テストで全体の下位レベルだと認識しました。
かなりショックでしたが現在地をクリアにすることができました。

そこから、
部活以外の時間は勉強に没頭し、
塾も2つ通い、
トップ40人だけが入れるスーパー特進クラスに入りました。

良い大学に入るというGOALに対し、
勉強に没頭し、
結果、学校の成績と部活の成果も考慮され、推薦で名古屋大学に受かりました。
大学受験に関しては運を味方につけて自分の理想の大学に入学となりました。

3-5.大学 過去の自分とは真反対の経験

バスケ部に入ろうか迷いましたが、
イケイケで遊びまくる大学生に憧れ、
テニスサークルに入りました。

バイト、飲み会、麻雀、女友達と遊ぶ
そんな毎日を過ごしました。
学校の単位だけは真面目に取りました^^

人生で大学生でしか経験できないことをしていたので、
後悔はありませんが、
自分の人生とは全く向き合っておらず、
これから何をしたいのかってことも一切考えていなかったので、
目の前の快楽に逃げていたと感じます。

結果として、
大学院に行っても時間を無駄にするなと感じていたことから、
とりあえず安定・安心の会社に応募して受かれば良いやっていう感覚でおり、
運がよく大学の推薦をもらえて電力会社に特殊な流れで受かることができました。
電力会社に受かるまでの間、
勉強は真面目にしてはきましたが、
自分の人生とは向き合わず、なんとなく、そして運よく進んできてしまった人生でした。

大学で唯一自分を褒めたい行動は、
サンフランシスコに1ヶ月語学留学したことです。

人生観が変わりました。
世界の広大さに魂が震え、自分の悩みなんてちっぽけだなと感じました。
ホームステイ先のお母さんも自分の息子にように良くしてくれました。
世界中の友人ができ、僕を弟のように可愛がってくれました。

今後の人生のキーワードに「世界」というワードがキーになってくるきっかけになりました!!

3-6.社会人 自分の本性 転職

社会人になって、
仕事はお金を稼ぐためにやっているという感覚で生きていました。
会社の理念を自分ごと化することもなく、
出世欲もなかったので、
無難に生きてお金をたくさんもらえればいい。

安定・安心の中でそれとなく生きれればいい。

何のために生きているのかわからない10年間を過ごしました。

その中でもたくさんの新しいプロジェクトをたくさん経験させてもらったり、海外出張で英語スピーチをしたり、
なかなか経験できないことをさせてもらったので、
本当に感謝しています。

ただ、
人間関係でとてつもなく苦しい経験をしたことをきっかけに、
転職を検討し始め、
今の会社に転職することになりました。

その際にはGOAL-Bさんのコーチングにて
自分のやりたいことを明確にし、
そのために必要な転職を決断できました。

特にファイナンス面ではものすごい恐怖があり、
さらには家族の理解を得るのに時間をかなり要しましたが、
人生最高潮のドキドキを乗り越えました。
今では転職に関しては全く恐怖がなくなっており、
自分のGOALに必要なアクションとしてただの一つの手段として捉えられるようになりました。

3-7.社会人バスケ 自信からくる可能性 人との関わり

社会人バスケでは、
人間関係、自信するという点で、
自分のビリーフや可能性を体感することができました。

高校生ぶりに本格的にバスケを再開し、
最初は試合に出ることもできませんでしたが、
練習やトレーニングは誰よりも頑張り、
徐々に出場機会を得ました。

いずれガードとしてスタメン、フル出場の立場となり、
それがコンフォートゾーンとなり、
さらに県トップチームとの試合も重ねていくうちに、
当時自分は県No1ガードであるという自信に繋がりました。

高校生でBチームの時とこの時の差は何だったかというと、
試合に出場しまくって経験する。
その中で自分は誰にも負けないという想いでプレーし、結果を出す。
自信しながら結果を出し、それがさらなる自信に繋がる。


結論自分が自信している状態が最高のパフォーマンスを発揮する。

自信する大切さを体感する経験となりました。

※自信とは:自分を信じることです。


人との関わりの観点では、
バスケのプレー中は自分自身を解放し、
仲間を信頼してプレーすることがてきていたのですが、

それ以外の時間については、
上辺だけの関係で自分を取り繕い、
仲間とのコミュニケーションが深く取れませんでした。

どうしても壁を一つ作ってしまう。
これは何だったのかというと、
自分が傷つきたくない。そんな無意識のバリアが働いていたのかなと今は感じます。


現在JCCにて、「人と本気で向き合う」ことについて向き合っています。

3-8.死産 人生で一番辛かったこと

僕は死産と流産を経験しています。
一生分妻と泣きました。

妻に身体的負担をかけてしまっていた自分を責めました。
妻も自分のせいだと責め、今までの人間関係を全てたち、
表に出れない期間が多く続きました。

僕はすぐに会社に復帰しなければならなかったので、
たくさんの同情や慰めの言葉をいただきましたが、
その場で感情を出すこともできず、
とても辛い思いをしました。

神様はなんでこんな酷い仕打ちを自分たちにするのだろう。
考える時間が多かったですが、
乗り越えられる人にしか乗り越えられない壁を与えない。
そう思い込むしかありませんでした。

今では、娘は僕たちにこんな経験をさせるために命を宿し、
なんて徳の高い子だったんだろうと思っています。

この世に生まれたどんな命も、
奇跡であり、素晴らしく価値あるものである。
全ての人が自分らしく最高の人生を送ってほしいという信念が常にあります。

3-9.転職後1年を経て 次のステージへ

ペットフードメーカーに転職して1年が経ちました。

・自分の副業物販を伸ばす。
・新しい分野で新しいスキルを手にする。
・プライベートの時間をより確保する

そんな目的と前の会社から離れて新たな挑戦したいということで転職しました。

結果として、
前の会社にとどまる選択をするよりたくさんの経験ができて成長しました。
輸入業の難しさ、人を雇う難しさ、中小企業の実態を目の当たりにしました。

その中で自分はこんな作業は向いているな、向いていないなということにも気づくことができました。

もちろん苦しいこともたくさんありましたが、
自分の選択に後悔はありませんし、
今は次のステージに進むきっかけとしてJCCを受講することができています!

4.最後に 自分へのメッセージも兼ねて

ここでは僕のGOALを記載することはJCCの関係もあって控えますが、
自分の個人理念として、
「自分らしく最高に楽しく生きる」
を掲げています。

本音を言うと、
自分らしく生きれていた時間は少なかった。

・偽りの自分
・殻にこもった自分
・本音を出さない自分、
・人と深く関わらずに自分を傷つけないようにしている自分
・心から笑っていない自分

過去にこんな自分と向き合うこともありましたが、
挑戦しても壁にぶち当たったらある程度の成果を出して満足し、
そこで自分を肯定して立ち止まる。

そんなことを今まで何度も繰り返していました。

そして今でもそんな自分が出てきます。

ただ、
JCCに参加させていただき、
今は自分自身を理解し、
現在掲げているGOALを達成できると信じ、
とにかく前に進むことができています。

自分らしく最高に楽しく生きるを体現し、
最高の自分にしよう!!

自分にエールを送ります。

もしかすると、
勉強を頑張って、大学や会社に思った通りに進んできたが、
自分らしく生きれていないという方も中にはいるかもしれません。

あなたは自分らしく生きるためにこの地球に生まれてきました。

これを読んでるあなたも、自分らしく最高な人生を送ることができます。

あなたの人生は今世限りです!やりたいことをやり尽くしましょう!






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