現在形という気持ち(要求の文を通して)
昼休みにプチ英会話ないし英語談話をしている方と、要求する文の話をしていました。いわゆるこれです。
It is necessary that all the team members be very well prepared for the meeting.
「すべてのメンバーが会議の準備がしっかりできていることが必要だ」
members are ではなく members be になっています。現在形ではなく原形のbeですね。
They require that she bring the money alone.
「連中は彼女が一人で金を持ってくることを要求している」
she bringsではなく she bringになっています。現在形ではなく原形のbringですね。
これはいったい何なのかと、どんな仕組みでこうなるのかという話をしていました。
いや、もちろん、無味乾燥な説明としては「requireやnecessaryなど、『~であることを要求する、必要だ』というような文では、『~であること』の部分の動詞は原形となる」という決まりがあるだけなんです。
問題は、この無味乾燥な「決まり」を、暗記するだけではなく、「ああ、確かに、こういう事情ならこういう決まりができるのも納得だわ、そうじゃないと変だもんね」という風に、気持ちとして納得できるところまで落とし込めるかだと思うんです。
そこまで落とし込めれば、この決まりは暗記ではなくて、自分の感覚の一部になりますから、忘れませんし、会話でも使っていけると思うんです。
で、じゃあどう納得すればいいかというと、まず私の高校の時の英語の先生の説を採用したいと思います。
つまり、要求する文の中では"should"が省略されているというものです。
They require that she (should) bring the money alone.
「連中は彼女が一人で金を持ってくる(べきだ)と要求している」
これなら、動詞が原形になるのは当然ですよね、助動詞shouldに続くわけですから、原形になるわけです。
次に、「じゃあこれが原形じゃなくて、動詞が現在形としてちゃんと活用*されていたらどうなっちゃうの?」と考えてみましょう。
*活用っていうのは、主語に合わせて動詞の形を変えることです。be動詞ならI am, you are, she is っていう風に活用されますね。bringという動詞は、I bring, you bring, she bringsという風に活用されます。
They require that she brings the money alone.
連中(they, 彼ら)は「要求」しています。要求している事柄って、まだ起こってないことですよね。これからこういうふうにしてくれよって言ってるわけですから、実際の話ではなくて、頭のなかで考えてるだけの話なわけです。
それに対して、she brings the money alone を見てみると、ここのbringsが現在形として活用されていると、これはもう現実の話になってしまうんですよね。「実際に彼女が一人でお金を持っていくんです」という現実の話です。
そうすると、一つの発言の中で、頭のなかで考えて要求しているだけの話と、実際に起こっている現実の話が混ざってしまって、「ん??」となるわけです。
そう考えると、They require that she brings the money aloneはおかしいなという風に感じるわけです、というか、感じるように自分の感覚を育てていってほしいです。
その上で、こういう疑問も生まれますよね。
「じゃあさ、なんでそもそもshouldを省略するの?shouldを毎回省略しなければ、こんなふうにうだうだ解説しないといけないような分かりにくいことにもならないのに」って、思う人もいますよね。
ここに関しては色んな説があると思いますが、言葉の変化は人間と同じでご都合主義で気まぐれなので、結局のところ「なんとなく」とか「こっちの方が簡単だから」とかそういう答えしか出てこないことが多々あります。なので、この「要求の中身の動詞は原形にすること」という決まりは、「要求の文で毎回should書いてるけどさ、毎回書くんだったら、もうshouldは省略してもいいんじゃない?要求かどうかっていうのは文を読めばわかるでしょ?」っていうことで、「なんとなく省略されるようになった」んじゃないでしょうか。
文法の中にはこのような「なんとなくできあがった決まり」というものはたくさんあると思います。そんなこと言ったら「be動詞はI am, you are, she isっていう風に3つの形があるのに、他の動詞はI play, you play, she playsっていう風に、三単現が違うだけなの?」っていうのだって、そうですよね。こういう話について、「歴史的にこういう経緯でこうなった」という「説明」はできても、「こういう理由でこうならないとおかしい」という理由付けをすることはできません。そういう説明を見たら眉唾です、こじつけででっち上げた説明だと思ってください。(そんなこと言ったら、そもそも、「もともとshouldを使っていたが、いつからかshouldを省略するようになった」というのも私が検証したわけではありません笑。歴史的にちゃんと調べたら全然そうじゃないかもしれません。興味がある方は是非調べてみてください)
ここまでまとめるとこうなります。
①require や necessary などの要求の文では、要求する中身の部分では(should)が省略されていると思いましょう。そう考えると、要求の中身の動詞は原形であるべきだとパッと思い出せますよね。
②要求は「頭の中で要求しているだけ」ですから、現実の話にはまだなっていません。なのに、要求の中身の動詞が現在形に活用されてしまっていたら、現実の話になってしまいます。現在形の気持ちは「現実にこうなっていますよ」という気持ちです。ここで気持ちのチグハグが生じるという感覚を育てていけると、暗記ではなく自分の感覚で英語を使えるようになります。
③「じゃあなんでそもそもshouldを省略するようになったの?」という質問には、「歴史的にこういう経緯でそうなった」という「説明」はできますが、「こういう理由のためにshouldは省略できるのだ」というような合理的な理由付けをすることはできません。
普段「現在形」というものは深く意識することはないと思いますが、「現在形は実際起こっている現実について語るものなんだな、現実じゃないことについては使わないんだな」という気持ちを、この「要求の文」を通して意識してもらえればと思いました。