神様からの祝福
[出エジプト記 20:8,9,10,11]
安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
[出エジプト記 20:4]
あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
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この頃、学生最後の最終テストを控え、テスト勉強に追われています。今日という日は安息日。
朝の礼拝をお休みしたのはテスト勉強しなければ!...という焦り、恐れ。
切羽詰まった緊迫感の中、安息日である事を忘れ、主を忘れていました。
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(これは自分のために主を忘れ、偶像を造ってしまった罪。[出エジプト記20:4])
また一つ罪を犯し、自分の罪を認め、悔い改めました。午後からの礼拝に参加しよう!そう思って毎週午後に参加している教会へ行き今日も主と向き合い、礼拝する事が出来ました。
帰り道...🚶
雨が少し降っており、いつもと同じ道を歩き、いつもと同じ時間に駅へ向かっていると駅前に「善意の傘」というものがありました。(僕は初めて見ましたが大阪ではよくあるのですかね?)
よく見ると傘置き場も傘も古びていていましたが、使えそうにない傘も置き場も、
「光がさし、清く、心踊るようなワクワク感があり、とても美しい。」場所でした。
いつもは何気なく歩く道でもその存在を知らずに通り過ぎていました。これに気づいたのは雨が降っていたから?でも気づいたのは雨がやみ、少し光がさしていた時。
礼拝に行かなければこの瞬間を見る事は無かったし、いつもの何気ない道へもありがたみを感じる事が出来なかったです。主に仕える事で、日々新たな発見、喜びを感じられる事、主からの祝福がある事に感謝します。
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