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「退屈な日々にさようならを」を観て、別れについて考えた

今泉力哉監督の「退屈な日々にさようならを」を観て本当の別れってなんだろうと考えた。人にはいろんな別れがあってその状態は様々で。それでも人は人のことを想う時に、どうしたって別れは避けて通れない。

ある日嵐のように訪れる夢のような日々も、ゆるやかに訪れる晴れやかな青空の下の別れも、その人にとっては人生の中で重要な意味を持つ。時間が、あるいは季節が滞りなく過ぎていくように、逆らえない流れに身を任せるしかなく、自分の無力感と世界の退色に絶望する。

人は思い出に生きるが、死ぬときは一人だ。そんなことわかってる。誰かに中に記憶として生きるが、それでも消える時は消えていく。

生きているかわからない人。この世を去ってしまった人。二度と会うことのない人。二度と合うことのない人。

たまに不安になることがある。いつかは自分のもとから去ってしまうことがわかっていて、そのことが仕方のないことだってわかっている時に。それでも人は、誰かを自分の中に宿して、記憶の中で大切にする。それが耐えられないのだとしたら、もっと強くなりたいと思う。

きっと安心したいだけなんだ。

相手のことが忘れられないのではない。相手と過ごした時、その時間を過ごした自分のことが忘れられないのだ。相手のことを想うとき、その場にきっと自分がいるはずだ。思い出はとても主観的だ。真実であっても事実ではない。

そんなことを考えた。どんな素敵な世界も、どんなに辛い世界もいつかは終わってしまう。当たり前に慣れたくないと

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