他人の人生

都立高校における新型コロナウィルス感染拡大防止策としての分散登校の影響でちらほら家庭学習用の課題が出る。その中の世界史の課題で気になった事があった。
「世界史を学んできて人間はどのような生き物であるか自分なりの意見を書け」(一部意訳)というもの。
小学生の頃から作文は得意だった。自分の意見は山ほど内から湧き出てくるが、言葉にして伝える事は苦手だった。でも作文なら文字に書き起すだけで良い。無駄な手間が省ける。たまに感情的になりすぎて文節や文脈がおかしくなるがそれもまた一興。
その課題で私は「他人の人生なんか本当はどうでも良いのにどうしても自分色に染めあげたいが為に邪魔をしてとてつもなく自己中心的な生き物である。」とまとめた。まだ18歳の幼い人間の考えだから間違いは沢山あるだろうけど概ね思ってる事は書いた。
近いところで言えば芸能人の不倫なんて誰が興味あるのか。世界的に見れば性問題、宗教問題、政治問題等々どれもこれも全て他人の人生に干渉しまくっている。この地球上もしかしたら宇宙上に何十億という人間が居て全く完全に意見が一致する事なんてまず有り得ない。どんなに長く連れ添った友達や夫婦間でもこんな奇跡は起きないだろう。なのに、それを強要して自分が相手より優位にいれば服従させ、或いは洗脳させて自分色に染めあげる。それは何故か。自分にとって不利益で争うことになるかもしれない不安材料を早めに取り除きたいからだ。人間誰しも弱くて1人では生きていけない。だけどもそれを逆手に取って相手の生き方、思想、考え方とかそれらを全て否定し、良く言えば仲間意識を高める。悪く言えば先にも述べたように洗脳する。だが、それは本当に意味のある事なのだろうか。人間というものは良くも悪くも自分とは違う存在に興味を持ちすぎる。憧れと嫉妬の二つから来るものだろう。それらが他人の人生を邪魔しまくってる。干渉しすぎてる。SNSでの匿名性の高い批判やクソリプなんかがよくそれを表している。でもそれらは他人の人生がどうでも良いから出来ることなのかもしれない。でも違う。本当に他人の人生、生き方がどうでも良ければ干渉している時間も勿体ないし本来なら自分の人生にも干渉するはずのない人間と面倒な関わりを自ら増やしている。こんな無駄なことは無い。つまり何が言いたいかというと他人の人生の邪魔をしないで生きたいし自分の人生の邪魔をされたくもない。誰も得をしないからだ。
意味もなく他人を攻撃する理由も無いし攻撃される理由も無い。この無駄な時間、期間、行動をもっともっと少なくして、究極無くしていけば最低限のルールとマナーさえあれば誰もが幸せな世の中を作る事が出来るのではないだろうかと日々思っている。

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