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わたしを響かせて

時々不安になる。

わたしとはどんな存在で、どんな影響を世界に及ぼしているのか。他者に対してどんな影響を及ぼせているのか。

ぼくはたぶん他者への貢献意識と世界への貢献意識が強い。良いことのような気がするけれど、時々自分を苦しめる。

そんなことばかり考えていて自分を見失うことが時々ある。いや、よくある。

だからなのかぼくはたくさん動く。いろんなところにいって、いろんなことをする。これ、ずっと変わってない気がするなぁ。

根っこの部分、心の奥底のところをまだ癒しきれていないんだろうな。

何もしていない自分が嫌で、何も出来てない自分が嫌で、わかりやすくだれかに話せるようなことにすがりつく。本当はさ、ただ在ること、そこからはじめたいのに。



ふと、遠くの誰かのことを思い出す時がある。
ふと、遠くの誰かが愛おしくなる瞬間がある。

きっと本人はそんなことも知らずに、何も思わずに、日々を生きているのでしょう。

ぼくがこうしてあなたのことを思い出しているのを知らないんだろうなぁ、と思ってなんだかにやけてくる。

逆に、今もどこかでぼくのことを思い出したり、懐かしく感じたり、近くに感じている人もいるのかなぁ。そうだったらすごく嬉しいなぁ。


生きる、とか、わたし、とか、存在、とか、考えてみると溶けているのかもしれないと時々思う。


ふと誰かのことを思い出すとき、わたしの中にいろんな人が生きているなぁって感覚があって、そのとき思い出しているのはきっとその人の存在だと思う。

出来るとか出来ないとか、役に立つとか、能力とか、肩書きとか立場とかそんなんじゃなくて、その人がいること在ること。生きていること。

遠くにいても、長いあいだ会っていなくてもその人が生きていてくれたらいいなぁと願う。

またどこかでいつか会えたらいいなって。


ぼくは友人を二人亡くしているのだけど、その二人もぼくの中にちゃんと生きている。

あぁ、そうなんだ、そうなんだよなぁ。

生きていてくれたら、と何度も思ったし、どうして会えないのだろうって何度も思った。もう一度会いたかった、会いたい。


それでも、それでも。存在していた、この世界に生きていたってこと。それは変わらないことで。それ自体が祝福で、今もここにあるんだな。わたしの中に在るんだな。

あぁ、本当にぼくはそこからはじめたいんだなぁ。。

わたしが在ること、あなたがいること、そこから物語を紡ぎたいなって思う。

どうしたら命が響き合って存在が祝福されていて、その場にいる誰もが温もりを感じれる場を創れるのだろう。

生きづらさや弱さ、出来ないことがあっても生きていける、わたしは生きていいんだって思える社会になるのだろう。そんな世界を願っているんだ。



悩みごとがたくさんあって、ずーーっと頭の中で何かを考えているような気がします。深い気づきを人に与えられることもあるみたいで、「それはきっとたくまが普段からいろんなことを深く考えているからだよ」と声をかけてくれるひともいます。

自分ではそんな感じはしないのですが、なんならいっつも悩んで悩んでいて、苦しかったりもするのですが。


答えを探すんじゃなくて、正解を見つけて与えるのではなくて、共に悩むことがしたいなって思う。一緒に困りたい。

「ほんとどうしたらいいんだろうね〜」ってあーでもないこーでもないって話していたい。

何も解決は出来ないかもしれないけれど、答えは出ないかもしれないけれど、一緒に、共に考えたい。

あぁ、それだ、それなんだなぁ、と感じる。出来るとか出来ない、とかじゃなくて、二元論や能力、資本や競争の世界から抜け出して一緒に困ること。


これまでもそして今も出来る自分で在ろうとするところからなかなか抜け出せない。

本当は出来なくたって良くて、出来ないことは人に頼って、支え合う。弱さを補い合って、凸凹を生かしあうためにコミュニティがあって、会社があって、社会がある。そんな気がする。


わたしを響かせて。