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苦沙弥先生の自己研究【#吾輩は猫である#読書感想文9】(毎日更新91日目)

今日は第九幕であります。

今回は苦沙弥先生がひたすらに自分の外側、内側と向き合っております。

【第九幕のあらすじ】

先生は先日の学生たちとの一悶着もあってか、八木独仙にいわれたように東洋的精神修養に興味をもったようで、書斎にこもりっきりだ。

ますます陰気になってしまうのではと心配な吾輩が様子を見に行くと、主人は鏡で自分の顔を熱心に眺めている。
顔に”あばた”のあるのが気になるみたいで、ほっぺをへこましたり膨らませたり、ヒゲを引っさげたり、引き上げたりそんなことをしている。

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しかし鏡ばかり覗いているそんな主人の様子も精神修養のための自己観察の一種であり必要なものであると吾輩の眼にも映った。

そんなところへ今日も来客が。
例によって迷亭と思いきやかねてから話の出ていた伯父さんを連れてきた。
伯父さんがなかなか古風な人で見た目がかなりインパクトあり。
明治も進んだ近代だというのにいまだにちょんまげの白髪。

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手には鉄扇という出で立ち。

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こんな感じ? たぶん違う

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着ているのはフロックコート↑


伯父さん赤十字の総会に出るために東京へ来たから、ついでに迷亭の友人の苦沙弥先生に会いにきた。

この伯父さんもまた西洋から入ってきた最近の学問に懐疑的で、なによりも重要なのは心の修養と説く。
むかし侍の時代はつねに命がけであったのであるからして、ふだんからの修養がうんぬんかんぬんとお話が続くのでした。

伯父さんの話に感じ入った先生は、この前の八木独仙の話もあったのでやはり精神修養がとても大事なことで力を入れるべきことだと気分が盛り上がっているわけですが、

ここで迷亭、いつものように水を差す。
八木独仙なんて口ばっかりで修養なんてなってないよと。
一緒の部屋で寝てたときはネズミに鼻の頭をかじられて大騒ぎ
地震があったときは真っ先に逃げ出して足をくじいている
そんなやつだよと。
修養とか悟りとか言ってるやつなんてそんなやつばっかだよと迷亭のたまう。

先生そんな話を聞いたもんだから、せっかく心の拠り所を見つけたような気持ちだったのに、すぐそばから不審になって心が揺れだす。

そんな話をしているところへ、また来客。
今度は警察。

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この前山芋を盗んでいった泥棒をつかまえたと本人を連れてやってきた。
応対に出た主人、
捕まっている泥棒が堂々として懐手なんてしてるもんだから、間違えて、ご苦労さまです、と犯人に挨拶するおバカな主人。

「あした盗難品を返却するから分署まで出頭してください」
そんなことを行って去っていった。

先生、その夜ひとり書斎で思案している。

いったいどんな人が立派な人物だと言えるんだろう
まともかと思えば狂人だったりすることもあるわけで
自分の周りを見ても、今日の伯父さんもいかがなものか、寒月君はガラスばっかり擦ってるし、迷亭も、金田の鷲鼻も
思えば世間というものは奇人変人の集まりなんじゃないか
ただそれが多数だから社会として認められているだけであって、
気狂いとして巣鴨の病院に入っているもののほうがむしろマトモだってこともありえるんじゃないか
そんなことを考え
しまいには、なにが正しいのかようわからん
と寝床に入ってしまうのでした。

【感想】

苦沙弥先生、今回はとっても自分自身と向き合っています。

生き方を模索している先生を吾輩の目がまっすぐに見つめています。

吾輩のセリフで印象的だったものを抜き出してみます。

「すべて人間の研究というものは自己を研究するのである」
「天地と云い、山川と云い、日月と云い、星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ」
「自己をおいて他に研究すべき事項は誰人にも見出し得ぬわけだ」

ここで吾輩が言っているのはおそらく、この世の中のすべての目的は結局自分を知るということに集約されるのではないかということだと思います。

すべての活動は自分を理解していくための道のりであると言っているのではないかと思いました。
だって天地自然はすべて自分だと言っているわけですからね。

哲学的ではありますが、ぼくも人生はすべて結局周りの人は関係なくて自分しだいでどうにでもなるものだし、自分を発揮して生きることが何より大事なことだと思いますので、このセリフに感じるものがありました。


もう一つ次が

「俗人はわからぬ事をわかったように吹聴するにもかかわらず、学者はわかったことをわからぬように講釈する」
このセリフわかるわ〜

多くの人はたいして知ってもいないのに知ったようにいいますよね。
自分を大きく見せたいからでしょうか。
そして大学教授とか本読んでみてください。
難しいことを難しく説明しますよね。
ぼくは難しいことを難しくしか話さない人をバカだと思います。
わかりやすく伝えようという配慮がない冷たい人間なのか
難しいことをわかりやすく伝えることができない頭の悪さなのか
どっちかわかりませんが、難しいことばっかりいうような本はまったく好きではありません。
そういった意味で共感できるなあとおもったセリフでありました。

吾輩はいいます。
人間はわからないもの難解なものをありがたがるクセがあると。
一見すると単純に見えるものには価値を感じられなくて、なんかちょっと小難しそうなものが良いものだとワケもなく勘違いしていると。

ぼくもそうだよなあと思います。
一見カンタンすぎて当たり前に思えることのほうが、実はとっても価値があるものだったり真理に近いものだということもあるのではないかなと思うからです。

たとえば世間的に成功した人とか偉業をなしとげた人の言葉を読むと
すっごいシンプルな言葉なんですよね。
ほんとにムダなものを削ぎ落として、これからの人に伝えようとしたときに究極のところはホントにシンプルなことなんだと思うんです。
あっさりしすぎているけど、実はそれがとっても深いこと、その真髄はなかなかわからない
そういったものが本物なんじゃないかなと思うんですよね。

まあそんな感じで今回も読みながらいくつも考えさせられる場面がありました。


頑固な苦沙弥先生は何かを見つけて生き方を変えるのでしょうか?

今日もめちゃくちゃ長くなってしまいましたが、続きはあしたにしたいと思います。

それでは今日はこのへんで

またあした。

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