駄弁の会@珍野家【#吾輩は猫である読書感想文6】(毎日更新88日目)
本日は第六幕の感想であります。
暑い夏がやってきた。
吾輩は毛皮を脱いで洗湯へでもいきたいところ、もし物が掴めるなら団扇でも使ってあおぎたいところだ。
人間は気楽な猫にでもなりたいもんだとよく不満をもらすのを聞くが、猫の大変さもしらず何を言うか、吾輩からしたらよっぽど人間のほうがくだらんことにばかり時間を使っているくせに忙しい忙しいと言っているお気楽な存在だというわけ。
たとえば髪型ひとつとってみても、やれ七三分けだ、真ん中分けだ、五分刈りだ、といちいち悩む。
そんなことに時間をかけていては忙しくなってしまうのは当然だ、人間はあらゆることにおいて終始そうなのだから愚かである
今日も吾輩はいろんな思索をめぐらせながら日課の人間観察をしております。
昼寝しては観察し、観察しては昼寝をし、といったなんとも平和な日常であります。
今回は珍野苦沙弥先生の家に変人たちが大集合といった感じで雁首を揃えます。
先生、細君、迷亭、寒月、越智東風といったメンバー。
あいかわらず傍若無人な迷亭は、暑い暑いと言いながら勝手に先生の家の風呂で水を浴び、いつの間にか家に上がりこんでいる。
そしてこちらもあいかわらず昼寝をきめこんでいる先生を尻目に、難しいことはわからない細君にむかって嘘だかホントだかわかんないような小難しい話をして一人悦に入っている。
そして細君はからかわれて時にはむっとしたりしながら大抵は話半分で迷亭の話を聞いている。
この図はいつもの一コマといった感じでなんかホッとするし和みますねー。
迷亭は細君にむかって、今日は暑いから屋根の瓦にバターをたらして卵を焼いただの、新しい帽子を買って変幻自在の帽子はおもしろいだろうだの、便利ハサミを見せてすごいだろうだの、一人でペラペラしゃべってます。
迷亭というこの人物は先生の昔からの友人なんだけど、とにかくおしゃべり。
あることないこと言うし、人の家でも自分の家でも関係ないような自由な人物。
でもこの物語には欠かせない人物ですね。
嘘ばっかりついてたら嫌われそうなもんだけど、みんななんだかんだで迷亭が好きなんですよね。
それは彼の毒気のなさと人の心に余裕で入り込める社交性のなせるところだなと思います。
そのうち先生も起きてきて、細君とちょっとした夫婦喧嘩したりしながら、これまたいつものように迷亭が間に入って相撲の行司みたいにはっけよい、はっけよい、って逆に煽ったりするんです。
これがおもしろくて好きだなー。
そんなところへ博士論文執筆中の好青年の水島寒月君が登場。
カエルの目玉に関するわけなのわからないような論文を書いていて、そのためにガラスの玉を毎日毎日削っているらしい。
論文でも書いて博士にでもなったら世間体が立って、晴れて意中の人と婚約できるってことでやってるんだけど、毎日ガラスの玉ばっか磨いてて論文なんていつ完成するかわかりません。って感じ。
今日はさらにそこへ詩人の越智東風君まで参上して、だいぶにぎやかになりました。
越智君は最近恋愛の詩みたいなものに凝っていて、ある婦人に渡そうと思っている詩をみんなに判定してもらおうと思ってもってきた。
でもその婦人というのが寒月君の意中の人だもんで、どうなるんだろ?って感じ
寒月君のおつきあいする予定の女の子と越智君の詩を贈ろうとした人が同じでかぶっちゃったてことなんですけど、越智君はべつに詩を作るインスピレーションをその女性から得ただけで好きってわけではなさそうなんですけどね。
どうなるのかちょっと気になりますね。
そんなこんなでこの日は男どもが集まって女性について語るという場所になっていったのでした。
吾輩はその光景を眺めながら今日は勢揃いでこうして寝ながらみんなの恋愛談義を聞けるのは幸せなことだにゃ〜という
第六幕でありました。
苦沙弥先生の家には人がいつもたくさん集まって来ます。
これは実際漱石自身が小説家になったころ、漱石を慕って集まってきた若手文学者たちの集まりである木曜会の様子そのままだったのだろうと思われます。
漱石が苦沙弥先生みたいに昼寝ばかりしていたような呑気な人だったとは思われませんが、人を惹きつける魅力をもっていたということでしょうし、またいろんな人を受け入れる懐の深さや、人がくつろげる空間を作ることに長けていたんだろうなあと想像されますね。
こうして学問に志す仲間たちが集まってあーだこーだと語りあう空間はとっても楽しそうでいいですね。
そんなわけで今日は吾輩は猫であるの第六幕の感想でございました。
それでは今日はこのへんで
またあした。