第八幕『ノンフィクション』
阿久津と落合は、秋田県の男鹿半島に来ていた。男鹿市の街中を歩いていると、阿久津は立ち止まって上を見上げた。そこには、大きな「なまはげ」の立像が二体立っていた。
「阿久津さん?どうしたんですか?」
「いや、あの二体のなまはげ、俺たちみたいだなあ、て思ってさ。」
「え?あれが、我々ですか?」
「お前、なまはげが何するか知ってる?」
「はい、勿論です。家の中に入って、子供達を脅かすんでしょ?」
「それだけじゃない。なまはげが家の中に入ってくると、そこの家族は、過去一年の間に犯した悪いことを、なまはげに向かって告白するんだよ。」
「ああ!まさに刑事じゃないですか!でも、我々の取り調べではなかなか本当のことを言ってくれませんけどね。」
「そんなのなまはげも同じだろ。本当に知られたくない悪事を、たかがなまはげにペラペラ喋ると思うか?伝統行事として成り立つ程度のことを話して、後は酒を出して楽しむんだよ。犯罪者だって、警察や世論が納得する程度の『罪』を供述して、事件が解決したかのように思わせるんだ。真実は、そのまま闇の中ってことも多々ある。」
「それを、我々は見抜かないといけないですね。」
「そう、そして証拠を積み重ねて暴くしかないんだよ。」
「地道が近道、ですね!」
「ああ。行くぞ。」
二体のなまはげの立像がある場所から徒歩で10分ほど離れた集落に着くと、刑事2人はある家の中へと入った。そこに住む老夫婦は阿久津と落合を丁寧に迎え入れた。妻は座布団の上に座る2人の手前の座卓に、熱々の檜山茶が入った茶器と茶菓子をそっと置く。
お茶をゆっくり口に含み、茶器を置くと、阿久津が話し始める。
「熊澤静香さんのご両親で、お間違いないですか。」
「はい、そうです。」
「静香さんについて、話を聞かせてもらえませんか?」落合が丁寧に聞くと、夫が話し始めた。
「静香は、高校まで成績優秀で、志も高く、東京の大学に進学しました。在学中に事業を興し、卒業後はさらに広げていると聞きました。上京してからも、度々帰省はしていたんですが、途中から全く戻らなくなりました。事業が成功したからでしょうけど、色々危ない人たちとも絡んでいるということは聞かされました。そして、2003年の10月、愛知県警から急に連絡が来て、名古屋のホテルで転落死したとのこと。親族友人の間では、闇の勢力に消されたのではないか、みたいな噂もありましたが、私たちは詳しいことは何も分かりません。警察も事故死として処理し、今に至っております。」
「静香さんに、お子さんがいたという話は、聞いていますか?」落合が聞く。
「いえ、まさか・・・そんな話は全く聞いていません。」
「静香さんが帰省しなくなったのはいつごろからか覚えていますか?」と今度は阿久津が尋ねる。
「亡くなる…5-6年ぐらい前からだった、と思います。」
「これがあなたのお孫さんです。」阿久津が本木陽香の写真を取り出して見せ、世間で『炊飯器失踪事件』と呼ばれた事件の概要と、本木陽香の関わりについて説明した。老夫婦は雷に打たれたかのように、ただただ無言で聞いていた。静香が帰省しなくなったのは、娘ができたからで、娘の存在を隠したかったからだろうと、阿久津は説明した。
「この人、知ってる?知らない?どっち?」阿久津はそう言って河村と強羅の写真を座卓の上に置いた。
「いや、写真だけじゃ私たちは何も…。」
「この人は、河村俊夫。炊飯器失踪事件の2件の殺害の実行犯として逮捕・起訴されています。」
「ああ、はい。ニュースになっていたので、何となく覚えています。
「そして最近分かったことですが、この人があなたのお孫さんの父親です。」
仰天した様子で言葉も出ない2人に対し、阿久津は続ける。
「この人は、強羅誠。」
その瞬間、老夫婦は口と目を大きく開けて互いに顔を見合わせた。二人のリアクションに阿久津と落合が戸惑っていると、老夫婦は互いに大きく頷いてから前を見て、夫が語り出す。
「実は、静香が亡くなる数日前に、電話があったんです。帰省しなくなってからも、電話で話すことは度々ありました。彼女の声を聞くのはその電話が最後になりました。その中で、危ない人たちに追われているかもしれないということを、半分冗談のように話してたんです。以前からそのように話すことはあって、慣れてはいたのでその時もあまり気に掛けませんでしたが、電話を切る前に言ったんです。『もし私に何かあって、警察が家に来たら、信頼できると思ったらこう言って欲しい。「ごうらがやった」と。』愛知県警は最初から事件として扱うつもりがなかったので、言いませんでしたが、19年後になって、お2人は神奈川からわざわざ駆けつけてくれました。私たちも歳ですし、静香の死の真相を知るには、最後のチャンスかもしれません。何卒、宜しくお願いします。」
そう言って、夫婦共々深々と頭を下げた。
***
「報告あるやつ!」刑事課長の声が一室に響く。
「はい。本木陽香の戸籍上の父は、『本木茂男』という人物だと分かりました。しかしこの人は4年前に78歳で病死しており、かつ本木陽香と一緒に生活したという証拠もなく、形式的な養子縁組にすぎなかったと思われます。また、この本木茂男が使っていた銀行口座の記録から、成見沢興業の関係者と金銭のやり取りがあったことが明らかになっています。相良家失踪事件との関連も含め、引き続き調べてまいります。」
「はい次!」
「本木陽香は、母・熊澤静香の死後は施設への入退所を繰り返していたようです。一連の事件で度々使われた群馬の廃墟も、本木が一時期居た児童養護施設でした。養父の本木茂男も実父の河村俊夫も、いずれの施設でも出入りが確認できていません。高校時代は、神奈川県内の有名私立校・真清女学院に通っていましたので、金銭的な支援があったことは間違いなさそうです。それが河村によるものか、別の裏の組織によるものか調査中です。」
「真帆さんの体内から検出されたアンモニウム塩の成分を調べたところ、高場花が勤務先の病院から本木陽香に横流ししていた筋弛緩剤の成分と一致しました。埼玉の空き家で11月2日夜から3日未明にかけて何が起こったのか、河村と本木を今後も追及してまいります。」
「都内のエンバーマーが、相良真帆さんのエンバーミングに関わったと証言しました。依頼者が強羅誠であることも認めました。ただ、実際に真帆さんのエンバーミングをやったのは自分ではないと言い張るなど、不可解な証言もあり、慎重に捜査を進めています。」
落合が立ち上がる。「熊澤静香さんの両親に聴き取りを行ったところ、静香さんに娘がいたことは知らなかったとのこと。亡くなる5-6年前から静香さんは帰省しなくなりましたが、その数日前に電話で、何かあれば信頼できる警察に『ごうらがやった』と言うように伝えていたことが分かりました。愛知県警にも、当時の捜査記録など情報の提供を求め、強羅誠と熊澤静香、本木陽香との関連もより深く調べてまいります。」
「よし、捜査はだいぶ進んできて、少なくとも相良家失踪事件に関しては全容が見えてきた。とりあえず、そっちを優先させろ。相良真帆、林洋一両名の殺害に関しては、まだ河村の容疑を否定するものも、本木陽香含む新たな真犯人の容疑を固めるものも、物的証拠や証言が決定的に足りない。その辺、全力をあげて取り掛かれ!」
「はい!」と威勢の良い刑事たちの返答と共に捜査会議は終わり、事務所に戻ろうとする阿久津と落合をスタッフが呼び止める。
「プロキシマの方が2名いらしてます。」
***
「お疲れ様です。阿久津さん、落合さん、これ見て下さい。ここにいる海江田さんが3日かけて突き止めてくれました。」橘一星が張り切って言う。
橘が見せた映像は、元々は橘が林洋一を殺害するシーンがネットに流れて一瞬で削除されたものを、海江田の力を多分に借りて掘り起こしたオリジナル映像だった。そこに映っていたのは、後部座席からナイフを持って林の首を掻っ切る本木陽香の姿だった。両刑事とも驚愕の表情を見せてから、落合が言った。
「あのぉ・・・お手柄では、あるんですけど、これ、ハッキングで入手した映像ですよね?これを証拠として使うのは、法律上無理でして…。」
ところが阿久津が落合を遮る。「いや、待て。橘さん、この映像の加工や流出に、強羅誠は関わってる?関わってない?どっち?」
「関わってます!」
「なら話は早い。橘さん、覚えてますか?あなたが、いたずらで光莉さんの監禁動画の撮影場所を群馬の廃墟に偽装して、警察一同をあそこに呼び寄せた時のこと。」
「あ、はい・・・」
「あのときは、あなたの自作自演を疑って取り調べもした。まあ、結局我々の予想は当たってたんだが、今更どうでもいい。その時あなたはこう言った。『お困りなら、アドバイザーでもしましょうか。』その時のオファー、今も有効ですか?はい?いいえ?どっち?」
「えっと・・・はい。」
「よし、落合、橘さんと海江田さんをサイバー捜査班のところに連れてってやれ。」
「え、阿久津さん、どういうことですか?」
「強羅誠は空き家近くのNシステムにも映ってたし、橘さんに脅迫状を届けたり、一連の事件との関わりが明らかになってきている。今姿をくらましているが、もう令状が取れるだろう。いや、俺が意地でも取る。あいつは19年前の転落死にも関わってそうだしな。令状が取れたら、通信システムから彼のパソコンを調べることは可能だ。後は、動画の編集と送信に関わった人物を任意で調査すれば良い。そこにハッキングでどうやって辿り着いたかを、お2人に説明してもらって、うちの捜査班が独自にその手順を辿れば良い。」
「合法的に、ですね。」と落合が確認する。
「できる限りな。」阿久津は細く微笑むと「じゃ、頼んだぞ。」と言って部屋を出て行った。
***
「おお!相良先生!先生自ら訪ねてくださるとは。ははは。」河村の調子の良い声が留置所の面会室に響き渡る。
「今日はお前の作家ごっこに付き合いに来たんじゃない。」
「ほほぉ!作家ごっこですか。これは一段と厳しくなりましたな、先生。俺がこうして殺人事件の被告人に成り下がったのを見て、以前は作家としての技量を酷評してたのが、今は作家そのものの否定ですか。まあいいや。でも、今俺は今回の事件をまとめた小説『魔界』を書いてるから、できたら是非批評してくれよなあ、相良先生!」
「河村、お前、ノンフィクション小説を書くって言ってたよな。」
「おう!俺が作り上げた最高のノンフィクション小説だ!」
「それは、フィクションだ。お前が書いている小説も、今こうして世間で認知されている『炊飯器失踪事件』のストーリーも、全部お前が仕組んだ『フィクション』だ。」
「何を言ってるんだ。小説にすればある程度著者の脚色も当然入るだろうが。それでもジャンル的にはノンフィクションだ。」
「いい加減にしろ。書いていることが、事実と完全に異なるのは知ってるんだ。お前はやってない。真帆も、林君も、殺したのはお前じゃない!」
「何を言ってるんだお前は。やってもない殺人を2件も自白したんだぞ。俺がやったという物的証拠もない中で、死刑になるかもしれないのに自分がやったと嘘をついてるって言うのか?合理性に欠けると思いませんか、先生!」
「もう知ってるぞ、河村。本木陽香は、お前の娘だったことを。彼女を庇ってるんだろ。」
「陽香が俺の娘だってことは本当だ。DNA鑑定で判明したなら仕方ない。でも、それが何だって言うんだ?陽香が殺したことにも、俺が殺してないことにもならないぞ。」
「まあ、それはそうだ。でも、俺は確信している。お前が人を殺せるような人間じゃないってことをな。」
「ははっ、今更何をお花畑なことを言ってるんだお前は。」
凌介はある写真を取り出して河村に見せた。
「会ってきたんだよ、小手川君に。わざわざ福井まで行って、元同僚とこうやってツーショットも撮った。この写真が、お前が殺しなどやってないと俺が思う最大の根拠だ。」
「ふっ。この写真一枚が何だっていうんだ。」
「お前、大学の講堂でお前に包丁を向けた二宮さんに言ったよな。『一線を超えてない奴には無理だ』て。お前も一線を超えてなんかいないんだよ。真帆が亡くなった後、お前は自力で調べて小手川君に辿り着いた。そして口止め料を払って、強羅の助けも借りて福井に転職させた。でもさ、お前がそうした理由は、黙らせるためだろ?でも、それができてない。警察が行ったときは喋らなかったけど、色々ヒントは掴めた。そして俺が行ったら、全部喋ってくれたよ。ミステリー小説でも良くあるし、現実でも裏社会では定石だ。本当に黙らせたかったら、ちゃんと黙らせるんだよ。永遠にな。」
すっかり推理モードに入った凌介の勢いに、河村は何も返せなくなっていた。
「お前は、他の人が犯した殺人を、自分の罪として被ることはできても、無関係な無実の人を自分で殺すことはできないんだよなぁ、河村!本当に真帆や林君を殺した人達が先に小手川君を突き止めていたら、彼はもうとっくに消されていただろう。お前が先に突き止めて強羅や他の奴らを説得したから遠方へのお引越しで済んだ。違うか!?」
河村は何も答えない。
「もう無駄だぞ、河村!本木陽香が埼玉の空き家に居た真帆を見つけて、殺して指輪を奪って群馬の山中に捨てた。お前は強羅か誰かから聞いて、あの後空き家に向かって、真帆の遺体を引き取って強羅にエンバーミングを依頼した。警察の調べで大体の察しはついてる。
林君だって、お前じゃないだろ。ネットに出回っていた動画のオリジナルを突き止めたらしい。あれも、本木陽香がやったのを、お前が包丁を菱田さんに預けて俺の家に置かせたりしたんだろ。もういい加減全部話せよ!」
「…黙秘する。」
「何でだよ!何のためだよ。お前のエゴかプライドか、父親として娘を育ててやれなかった罪悪感からか知らないけど、俺には逃げてるようにしか見えない。娘の殺人を庇って何になる?庇ってお前が代わりに死刑になるのか?それでどうなるんだ?お前の娘は数年で出所した後も、闇の世界で人を人とも思わないやつらに好きなように使われて、善悪も、家族の温もりも愛も、何も知らずにまた犯罪に手を染めていく。それでいいのか?本当にお前はそれでいいのかよ?」
次第に上がってきていた凌介のボルテージは、MAXに近づいていた。
「うるせえな!だから言ったんだよ。偽善だって。お前の言うことは全部偽善なんだよ。」
「何が偽善だ!」
「真帆ちゃんが、お前が単身赴任中に他の男と寝て、息子の本当の父がお前じゃないかもしれないってことを墓場まで持っていくのは、家族を守ることだとか言ってたくせに、俺が何かを隠して墓場まで持っていくのはエゴなのか?逃げなのか?何でそうなるんだよ!」河村が一気に声を荒げ始める。
「一緒にするな!真帆は、大切な家族と一緒にいるためにそうしたんだよ!今まで毎日毎日、一緒に笑ったり泣いたりしてたくさんの思い出を作って、強い絆を築いてきた家族と一緒にいるためにそうした。でもお前は全然違うだろ!お前がこのまま罪を被ったって、一日たりとも一緒におれず、結局見捨てるだけだろ!いい加減目を覚ませよ!!」
河村はすすり泣いていた。
「河村、お前に話してなかったことがある。」
少し間が空いたが河村は何も言わない。
「実は俺、大学卒業してだいぶ経ってから、コンクールに小説出したんだよ。でもさ、すんなり落ちちゃった。今まで恥ずかしくて言えず、お前や日野の前ではカッコつけてたけど、お前らが思い込んでたほどの才能なんて俺にはなかったんだよ。」
すすり泣きが嗚咽に変わっていた河村が、搾り出すように言う。
「そうだったのか・・・お前を、俺たちが勝手に神格化していただけだったんだな…。」
「ちょうどそのすぐ後に、真帆に結婚しようって言われて、俺も諦めがついたんだよ。その後、真帆と一緒に、平々凡々のマイホームパパとして、17年間最高のノンフィクションを生きることができたんだ。お前は今、何を書こうとしている?殺人犯の娘が闇の世界で暗躍するドラマか?それとも娘の罪を被って刑死する父親の愛か?もういい加減諦めろよ。俺を超えたいとか、俺が書けないようなノンフィクションを書きたいとか。もっと大切なことがあるだろ。
俺は、陽香さんを恨まない。お前が全部話すなら厳罰も求めない。誰も死刑になんかならなくていい。だから全てを吐き出して、今までずっと孤独に生きてきた娘と、一から、不器用ながら、一歩ずつ距離を縮めて、心から向き合っていくお父さんをやってみたらどうだ?それなら、かなり良いノンフィクション小説になるんじゃないか?俺にも、他の人にも絶対に書けない、お前だけのノンフィクションだ。」
河村の嗚咽は既に慟哭に変わっていた。
数分後、ようやく落ち着きを取り戻し河村が、小さく呟いた。
「分かった。すべて話す。」
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