【ショートショート】ビックリ箱
田中啓介は平凡な会社員だった。毎日、通勤電車に揺られ、デスクに向かい、家に帰る。ただ一つの楽しみといえば、休日に古道具屋を巡ることだった。
ある日、彼は街外れの薄暗い骨董品店で、不思議な箱を見つけた。木製の小さな箱で、角に鉄の装飾が施され、どこか年代物の雰囲気を漂わせている。「ビックリ箱」とタグが貼られていたが、田中はおもちゃにしては妙に重いことに気づいた。
「これ、何が入っているんですか?」田中が店主に尋ねると、店主はふっと笑って言った。「開けてみればわかりますよ。ただし、注意してくださいね。この箱は人を変える力があるんです」
田中はその言葉に少し不安を覚えたが、好奇心に負けて箱を購入した。家に持ち帰り、リビングのテーブルに置いて眺める。表面には複雑な模様が彫られており、触れるとひんやりと冷たかった。
「何が入っているんだろう?」田中は慎重に蓋を開けた。しかし、中には何も入っていない。ただ空洞が広がっているだけだった。「なーんだ、ただの古い箱じゃないか」と肩をすくめた瞬間、箱の内側から声が響いた。
「願いを一つだけ叶えてあげよう」
田中は驚いて箱を閉じたが、心臓の鼓動は収まらなかった。幻聴だろうか?それとも、何かのトリックか?しばらく悩んだが、結局、試してみることにした。
「じゃあ……お金が欲しい!」
箱は一瞬、何も反応しなかった。しかし次の瞬間、田中の目の前に札束が山のように現れた。信じられない光景に、彼は目を丸くした。「本物だ……!」
それからというもの、田中は箱を使ってさまざまな願いを叶えた。豪邸を手に入れ、高級車を何台も所有し、海外旅行を楽しんだ。だが、しばらくすると奇妙なことが起こり始めた。
最初は小さなことだった。財布を紛失したり、スマホが突然壊れたり。次第にエスカレートし、友人が彼を避けるようになり、職場では突然のリストラ通知を受け取った。
「箱のせいだ……!」田中は気づいた。箱に願いを託すたびに、どこかで何かを失っていたのだ。それでも箱を手放す勇気はなかった。
ある夜、彼は意を決して箱に尋ねた。「これ以上何も失いたくない。どうすればいい?」
すると、箱は静かに答えた。「全てを返せばよい。元通りに」
田中は全てを失う覚悟を決めた。「分かった。元通りにしてくれ」
箱が静かに閉じた瞬間、田中の周りの豪邸も高級車も消え去り、彼は以前の狭いアパートに戻っていた。ほっとしたのも束の間、彼は気づいた。家の中に何一つ家具もなく、自分の姿が鏡に映らないことに。
「これが……元通り……?」
箱の中から最後の声が響いた。「お前が最初に手に入れたもの、それは"存在"だったのだよ」
田中啓介の姿は、この世から完全に消え去っていた。
そして、箱は次の持ち主を待つように、街の片隅でひっそりと佇んでいた。