価値観の変容。
堅苦しい題名ですね。
偉そうな事を書くつもりはないんです。
今日は休みだし、体調も気分も優れないので、思った事をだらだらと(これはいつも)書きたいなと思って。
価値観の変容ってどういう時に起きるのか、考えていた。
私が自覚しているのは4つ。
・県外で一人暮らしをはじめた時
・就職した1年目
・出産後
だいたいみんなそんな感じじゃないのかな?
・あとは、母が亡くなったとき。
それまでの価値観では、うまく物事が進まなくなって。
試行錯誤して行動を変えていく中で、気付けば価値観がまるっと新しく生まれ変わっている。
そんな感じ。
こんな事を考えていた理由は、社内で人を利用しようとしている人が居たからだ。
私は、距離を置くのか、それとも本当に困っているから手を差し伸べてあげた方がいいのか、この1年観察していた。
そして、利用するだけの人なんだと気付いた。
距離を置くと決めた。
私は、物事を頼みやすいらしい。
仕事を嫌がらないから。人当たりもよく、断らないと思われている(らしい)
他人がそう私の事を思うなら変えられないし、どうでも良い。
でも、「頼みやすいから、断らないから」というのを理由に、やりたくない仕事を人に押し付けるやり方が好きじゃない。
例えば私が、その事で苦しんでいてもなんにも思わない人なのだ。と、私は判断した。
その人はこそっと私に耳打ちしてきた事がある。
「〇〇さん、仕事押し付けるから気をつけてね」
私だから教えてくれたのだと、その時は少し嬉しかった。「あなたは賢いし、仕事ができるから利用されちゃうよ」と。
けれども、そういう類の事は自分で判断すると決めている。ありがとうとは思ったけど、真に受けはしなかった。
そして、事実は少し違っていた。明確に、「これをして欲しい」「今は忙しくて出来ない」と言えば、その〇〇さんは、進んで仕事をやってくれる人だった。
利用されていたのだと分かった時、ただ悲しかった。仲良くなれたと思ったのにな。そういうやり方の人だったんだな。昔の私ならば、ここまで冷静じゃなかったな、とふと思った。何度も訪れた価値観の変容のお陰だ。単に大人なったのかな?
それを受け入れるのは、相手の為にも会社のためにもならない事を私は知ったから。
だから、角が立たないやり方で、私はもうあの人のお願いを聞いてあげる事はなくなるだろうな。
……
仲の良かった友達がいる。
アナウンサーを目指していて、うまくいかなくてヨガの講師になった。その時彼女は「やっと本当にやりたい事が見つかった」と言っていた。私は素直にとても嬉しかった。
元々人目に沢山触れる職業は大変だろうな、と感じていたから。
ところが、しばらく経って「テレビに出られるお仕事をもらった」ととても喜んでいた。地方テレビのお天気お姉さん。
「ヨガの仕事はいいの?本当にやりたい事じゃなかったの?」
私は戸惑い、率直に疑問に思ったから聞いた。
彼女は言葉に詰まり、「元々アナウンサーになりたかったの知ってるでしょ?もっと喜んでくれると思ってた」と、言った。
私の頭が追いつかなかった。だって、本当にしたかったのはヨガじゃなかったの??
それから彼女は友達の誰々が、こんな風に喜んでくれてこんなお祝いをしてくれた、という話を延々としていた。私は全く頭に入らず、ただ喋るのがあまり得意じゃない彼女が、テレビに出て傷つかなければいいなと思った。
結局、すぐにテレビに出ることはなくなり、ヨガもうまくいかず、お嫁さんになって専業主婦をしている。それが悪い訳ではなくて、彼女の本質が「アナウンサーになりたい」でもなく「ヨガの先生になりたい」訳でもなかっただけだと思っている。
彼女はただ、目立ちたかっただけなんだと後で気付いた。
なんだか悲しかった。別に「目立ちたい」って気持ちが悪いんじゃなくて。なにか心が寂しい感じというか。それなら色々理由つけずに目立ちたいからやってみたいんだよね、と言ってくれた方が気持ちいいのに。
自分の中にない価値観、「目立ちたい」という事。そこに隠れた気持ち。それに気付いていたら、彼女にこんなにも振り回される事がなかったんだろうなと、今になって思う。
メンヘラ気質の彼女は、彼氏と連絡がとれなくなると、夜中だろうが、私が彼氏と居ようが、「助けて」と電話をかけてきていた。そして、メンヘラなど存在すら知らなかった私は、その度真っ先に彼女の元へ駆けつけた。「死んでしまうかもしれない」そんな恐怖に駆られて。私の彼氏に「もうほっとけ」と怒られて、喧嘩になったりもした。結構、それで苦しんだ。ほんと、それこそ私は彼氏でもないのにね。
満たされない何かを、人前に出てチヤホヤされる事や、彼氏や私に依存する事で満たしたかったんだと思う。全くそれに気づかずに、彼女の言葉を全て受け入れていた私が浅はかだったし、だから、彼女に利用されてしまったんだと思うけれど。
もちろん彼女は利用したなんて思っていないだろうし、私も利用されたとは、思っていない。客観的にみて、摩耗した私は利用されたんだ、とみえるんだろうなと思った。
そんな20代前半。
人を信じて、というか.......その人の上辺の言葉だけを真に受けて散々傷付いてきた私は、人の気持ちの複雑さを知った。
単純ではないよね。
でも、私はシンプルで居たい。
「腹の中で何考えてるのか分からない」なんて思われるよりも、バカみたいでも、ちゃんと自分の中の本当の気持ちを、出していきたいと思っている。誰にでもオープンって訳にはもちろんいかないけど、大切な人にはちゃんと素直に出していきたい。
たくさんたくさん、価値観は変わってきたけれど、今はそう思っている。
それは、誰かに心の柔らかい部分を責められても「私は私」と思える強さができたからかもしれないなぁ.......と、またつらつら書いてみました。
価値観の変容が起きるまでは辛くて、足元がぐらぐら揺れて、弱さと強さの間をいったりきたりするけれど、「今より少しでもマシな所へ行くんだ」って前向き?な気持ちがあればきっと、きっとうまくいく。
ほんとは産後の価値観の変容を書きたかったけど、まだそこまで整理できてもないし、過去にもなっていないので、いつか書けたらいいな。