『デジタルマーケティングの実務ガイド』ー実務の体系、効果測定、PL的な投資とBS的な投資
買って良かったマーケティング本をリストしていくnote、その11冊目。
理論の紹介でも成功事例の分析でもない、実務の体系書
マーケター「個人」「担当者」というよりも、マーケティング「部門」「責任者」としての仕事のスコープと進め方がまとめられた体系書。
役員クラス向けの大所高所からの戦略論でもなく、担当者向けのWebテクニック集でもない、ちょうどよい塩梅にレベル設定されたマーケティング部門運営ノウハウが詰まっています。
以下、「1.1. なぜ『実務ガイド』なのか」より。
医学には、基礎医学と臨床医学という 2つの体系があります。図書館の医学書フロアーの糖尿病コーナーには 、基礎医学 (発生の仕組みなど理論の体系)の教科書があると同時に、臨床医学(どう診断し治療するか?という実務の体系)の教科書もあるのです。医者になるには、この2つの知識体系が必要です 。
マーケティングやデジタルマーケティングの世界では 、この2つが明確に区別されていません。その上で、大半の教科書 ・解説書は 、ここでいう基礎医学的な 「理論の体系」を主に扱っています 。
教科書・解説書のもう1つの類型は、事例の紹介です。(中略)事例は実務の話ではありますが、それゆえ、基礎医学的な理論に辟易した読者には好まれるのでしょうが、そこに体系はなく、多くは個別具体的な状況においてのみ意味を持つものです。
マーケティング実務家にとって今日、明日の業務を行う上で本当に必要なのは、この「理論の体系」「体系のない事例」のいずれでもなく、「実務の体系」なのです。これこそまさに本書で紹介していくものです。
読めばよい本であることはすぐに伝わってくるのですが、コンセプトやタイトルでエッジを立てるのは難しそうですし、最大購買層であるはずのマーケティング入門者を相手にしていない点非常にニッチな本です。
私自身も、アウディジャパンのマーケティングマネージャー(当時。現在はYahoo! JAPAN MS統括本部マーケティング本部長)としてご活躍されていた著者の井上大輔さんをTwitterを通じて知らなければ、この本を手にとることはなかったと思います。
意外に放っておかれがちな組織としての効果測定
本書には、他の本では文字になっていない、しかしマーケ部門として当たり前に求められているはずのことが漏れなく書いてあります。
私が助けられたのが、本書の3分の2を占める第4章の中の「4.7 キャンペーンの効果測定」です。
一度データの海に注意深い目を転じると 、そこには玉石混交様々な情報がものすごいスピードで渦巻いています 。この混沌は、データ分析ツールで覆われた表面より少し深いところで起こって 、よく注意を凝らさないと本当の姿が見えてきません 。これを可視化してデータの海を完全に航行していくためには、ツールを準備しそれに習熟する、という表層的なことではなく、より本質的な準備が必要となります。以下でそのステップを解説していきます。
・論点を整理する
・仮説を立案する
・仮説を立証する上で検討が必要なデータを明確にする
・データソース ・データ項目を特定する
デジタルマーケティングという目に見えないものに多額の資金を投資する以上、自己満足に終わらないための効果測定と仮説の検証は重要な仕事です。
ところが、それが当たりまえ過ぎるからなのか、担当者の自主的確認で済ませてしまっているからなのか、組織レベルでの効果測定の実務について解説する本は意外にも多くありません。
「マーケティングの○○○○」と題された本があれば選り好みせず、150冊以上買っては読みしてきたのですが、そこに触れた本は10冊あったかなかったか。触れていたとしても、
・大所高所系:
「ROIで経営者と会話できるようになれ!」
・テクニック系の本:
「Googleアナリティクス・サーチコンソールはこう使いこなせ!」
という具合で両極端に過ぎ、その「真ん中」がないのです。
そんな中にあって本書は、マーケティングの総論と各論をつなぐ中間の実務について、マネージャー層にターゲットを絞って書かれています。
PL的な投資とBS的な投資に分けた上で、「今回のマーケティング投資」に絞って効果検証をすることの重要性と、それを行うのに必要な準備・手法・ツールについて、マーケツール業者のポジショントークに邪魔されることなく学ぶことができます。
確かなデジタルマーケ知識と経験に裏打ちされた安心の筆致
タイトルに「デジタルマーケティングの」と銘打っているだけあって、著者のデジタルマーケに関する知識と経験の確からしさも、端々に感じられます。
たとえば、マーケティング技術について取り上げる本では必ず登場するクッキー(Cookie) 。この技術について実はよくわかっていないマーケターが本を書くと、抽象度の高いクッキーの技術用語解説とアドテク企業がそれを利用して提供するサービスの紹介に終始してしまい、
・クッキーを使いこなすことでマーケ部門としてどこまでのことができるのか
・強みだけでなく、弱点はどこにあるのか
・どのような使い方をすると(法的に)問題となるのか
といったことについて、まったく触れずに終わる本もあります。
そんな本に出くわすたびに、「この著者、実務は担当者に任せっぱなしで、実際のところを知らないんじゃないかな…」という疑いの眼差しを向けてしまうのですが、
自社のCRMデータベース上に蓄積されている実購入や来店のデータ、例えばポイントカードなどの利用データを、ブラウザクッキーのデータベースであるDMPと突合させます 。それゆえ、自社で管理する独自のDMPであるプライベートDMPの設計も必須の条件となってきます。要するに、実名データであるCRMデータベース上のデータ(メールアドレス、住所など )と、匿名データであるDMP上のクッキーデータを紐付けるわけなので 、個人情報保護方針などの調整も必要です。
実際の紐付けをどのように行うのか、という点ですが、 3 . 3 「マーケティングツール投資の計画を立てる」でも解説した通りこれはかなり地道なプロセスです。まずはメールマガジンにパラメーターのついたリンクを仕込んでおき、繰り返しメールマガジンを配信して、なるべく多くの会員にそのリンクをクリックしてもらうことで 、DMP側に「このクッキーの利用者はCRMデータベース上で言うとこの人です 」といった情報を引き渡します。大多数とみなせる一定の割合(70%など)に到達するまでには、一定の時間を要する点に注意が必要です。多くの人が興味を持ちそうな魅力的なプレゼントキャンペーンなどを実施し、その人身御供的なリンクにパラメーターを付与しておいて、紐付けを一気に進めるのもよく使われる手法です 。この紐付けはコンバージョンの発生の前後いずれにおいても可能です 。この方法の弱点は、商談情報をセールススタッフが手入力している場合などはCRMデータベースに常に正しいデータが反映されているとは限らない、ということと、紐付けに時間がかかること、及びセットアップが複雑で前提となるシステムが多いためコストがかさんでしまうことです。また、根本的な問題として購入者の実名データベースを広告主が管理している必要があります。車や携帯電話など登録が必要な商材であれば難易度は低いですが、日用品などはほぼ不可能でしょう。
このようによどみなくすらすらと説明されているのを読むと、読者としては「著者自身が私と同じ苦労を同じようにされてきた方なんだなあ」と、安心して身をゆだねることができるでしょう。
Amazonの書評で「読者にマウントを取っている」という批判があるのですが、マーケティングというかたちのない仕事をどう組織として運営していくかという課題に直面している上級マネジメントやプレイングマネージャー層が読めば、むしろ、「自分のニッチな悩みをこんなにも丁寧に因数分解してくれ、解決に向けたヒントをくれるなんて」と感じるはずです。
サポートをご検討くださるなんて、神様のような方ですね…。