2回目の投稿は続きから Vol.2
自己紹介とは、自分の歴史をつまびらかにする感じ
大学は、長崎総合科学大学の電気電子工学科@電子技術コースへ
志望の動機は確か、「大型の電子計算機が小型化するように、電子技術の進歩と発展は著しい。今からの時代に必要な学問を学びたい」と今でも思う。
高校卒業前に、自動車免許を取得せず自動二輪免許を取得し(KAWASAKI ZEPHYR 400)バイクで移動させてもらった。
とにかくアルバイトをするため、市内に近い場所を探していたら家賃2万円の物件を大学の不動産紹介で見つけ、両親を説得し即決。路面電車終着点の1つ「蛍茶屋」から徒歩5分、鳴滝という地名も気に入っていた。
大家さんは、小学校の先生を退職し、「学生はとにかくお金がないから学生に思いっきり学んでほしい」といった熱い思いであったように思う。大学時代の大恩人の一人。
(余談:隣近所に3軒貸家があったが、全て同じ大学の先輩で2人とも沖縄出身。後付けのようではあるが、沖縄との縁は深い)
歩いて数十歩のところに、グラバー邸があった。大変失礼な話、近いからいつでも行ける感覚で、卒業までに1度だけ見学したっきり。紫陽花を愛しているところと、雨が多い町はさながら、さだまさしの「長崎は今日も雨だった」が連想される。
引っ越しを家族総出でしてもらい、翌日大家さんに挨拶に行った時、「食品は近所の”ジョイフルサン”に行けば買えるよ」「分からないことがあったら長崎の人は優しいから聞いたら大丈夫だから」と言われた時、ファミリーレストランのジョイフルに”さん”を付けるなんてなんで丁寧な人なんだと感動したら、本当にスーパーマーケットの「ジョイフルサン」だった(笑)
入学式の衝撃的な出会い
学科コース別に椅子に座って式が挙行される。
自分の前の席に座る彼は”ナイティナインの岡村隆史!”そっくりさん。
沖縄県金城町出身の與那城肇君今でも良き友人の一人
他にも個性的な同級生がたくさんいて、今でも懐かしく思い出される
沖縄県読谷村出身の山城公二君、沖縄県宜野座村出身の仲間盛和君、大分県出身の矢野稔君、和歌山県出身で8年間通った向竹彰君、沖縄県出身の金城輝幸君、長崎出身の川本宋輝君・古本隆志君は特に仲良かった。そして、他学科であったが、宮崎県都城市出身の中川祥岐君、鹿児島県出身小牟田淳君、福岡県出身宮有俊聡君、鳥取県出身懸樋和彦君、後輩の宮崎県西米良村出身濱砂勇二君・・・
大学時代のサークルは、「教育を考える学生の会」(教育学教授の広木克之先生ゼミ)の共同サークル”リトルモンキーズ”に所属し、小学生に遊びを通して居場所を提供し、共に遊び共に学ぶ”共育”を行っていた
いろいろなボランティア活動を
・平和教育活動
・日吉青年の家施設ボランティア
・野母崎宿泊学習ボランティア
・赤十字奉仕団
・長崎大浦天主堂聖歌隊(一夜限りの)
・etc
リトルモンキーズの思いで
浜の町アーケード街を使って鬼ごっこ、路面電車1日乗車券を使ってリアルサイコロ、平和学習、サマーキャンプ、植林活動、etc
中でも、長崎港ターミナル付近でスケッチ大会を行っていた時、船着き場の先で居眠りしているおじさんがいるなぁと話をしていた瞬間、頭から飛び込んだのを元ペーロン部の先輩と救助して警察署と大学から表彰されたことがある。懐かしい思いで
大学でお世話になった先輩
福岡県出身の今村信裕さん、長崎県出身の内野克次さん・寺田武史さん、滋賀県出身の脇道也さん・・・たくさんいてあげられない・・・
アルバイト
・市内路面電車の「思案橋」から徒歩3分の”弐乃屋”という居酒屋で約1年
・日本通運仕分け作業
・DA PUMPのコンサートスタッフ
・Bar BLUE NOTE
・etc
卒業論文は、広木克之教授のゼミで教育関連の論文を作成するつもりで過ごしていたが、4年に上がる前に、神戸大学にハンティングされ迷走した。
長崎大学から移ってきた教授に頼み込み、教授の研究とは一線を隔する内容ではあったが、「性教育」に関する論文に挑戦
工学部なのに・・・
論文調査で性教育の出前授業や教育支援をおこなっていた熊本YWCAの系列団体として若者主体で活動する ”PDYYY”に半年近く随行したり、活動に参加させてもらったりした。
同団体の1泊2日の合宿参加者の一人であった女性が、今の妻となるのは数年後・・・
大学卒業目前子どもと関わるボランティアや活動を中心におこなってきたこともあり、もう少し教育について学びたいと武庫川女子大学の大学院試験を受験したが、現職の教員か教育現場で活動する者でなかったこともあり叶わなかった。
卒業式までの間実家に一時帰省していた時、学務課から山口県立小野田工業高校の校長先生(総科大OB)が教師をさがしているから、就職決まっていなければ受けませんか?と案内があり、與那城肇君と二人で面接に行った。
当初、1人の補充だったので2人来てもどちらかダメかもしれないという話だったが、定時制高校でもある学校だったために、私は全日制、彼は定時制で勤務出来ることになった。
次回、社会人となる
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