「あの人を助けることはできない」と認める優しさ
最近うちの会社で、心身ともに体調を崩して休んでいる社員がいます。
このnoteでは、その休んでいる社員のことではなくて、その周りで残った同僚の心のもちかたについて書きたいと思います。
もともとは社内Slackにだけ書いてもいい話なので、 #オープン社内報 に投稿してみます。
病気で休んでいる人に同僚ができることは、ほぼない
うちの会社のスタッフは根が優しい子が多いので、「あの人に自分は何かをできたんじゃないか」「休んでいる今も自分に何かできることはないだろうか」と思うことが多いです。
実際に何人かからそういった相談を受けたのですが、僕が答えるのは「僕にもあなたにも、今あの人に対してできることはあまりないと思う」ということです。
普段の仕事で失敗して落ち込んだとか、日常的に少しメンタルの波があるとかのレベルなら、話を聞いてあげたり一緒にご飯に連れ出したりして、その人の助けになることも多々あると思います。
ただ、仕事のみならず生活もままならなくなるぐらい体調が悪くなるのは、それはもはや病気の範疇で、脳や身体の機能に不具合を起こしている状態です。
そのこと自体は責められることではないのは前提にした上で、とはいえそういった状態になったときに会社の同僚がしてあげられることってほとんどないと思います。
もはやそういう範疇を超えてしまっているので。
具体的には、信頼できるお医者さんを見つけて、薬を飲み、ゆっくり寝て休養するのが王道の治し方だと思います。
相手の状況を正しく理解するのが大事(難しいけど)
逆にそこで周りが「自分が何かしなきゃ」と思うあまりに手や口を出しても、それは体調の悪い本人にとって本当に嬉しいことなのか、病気に対して実効力のあることなのか、というと、そうでない場合もあるでしょう。
相手の状況によっては「自分は今は何もできない」ということを理解すること、相手のことをなるべく正しく把握して自分にできること/できないことを切り分けて認識するのも、優しさを構成する大事な要素だと思います。
まあそれも難しいことで、だいぶ人のことに向き合った経験が要るかもしれませんけれども。
自分ができないことを認めて、まずは自分で立つことから
僕が大好きなタテタカコさんという歌手の『卑怯者』という歌があります。
この曲は特に歌詞も大好きなのですが、そうした「他者を引っぱり上げることができないことを認めている自分」を歌った曲です。
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手にとるように感じる心
やさしさと言うのなら
私はちっともあなたの気持ちを
予想すら出来ないし
あなたの助けを求める悲鳴
耳をふさいでしまう
あなたが暗いトコで手を求めても
私はふりはらうし
引っぱる力はありません
引きのばす力もないです
やさしいフリをよそおうことなら
できるけど長くはつづきませぬ
弱い心をくるんであげる
やさしさがあるのなら
私はきっともたれかかりきり
いつまでたっても芋虫のまま
あなたの心情測ってみても
何㎝かわからなくて
私の屁理屈並べてみても
どれもまずくて食べられない
肩がわりする力はありません
導いてゆく力もないです
身代わりになる勇気もありません
共倒れする覚悟もないです
ただ自分が倒れないように
ただ自分が立って歩くのを
ただ自分が轢かれないように
ただ自分になってゆくのを
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「やさしいフリをよそおうことならできるけど長くはつづきませぬ」と認めていることが、僕は立派な優しさだと思うんですよね。
人間、人のことに対しては、正直そこまで大したことはできません。
それよりはまず自分が自力で立つことを目指した方が、結果的により多くの人の助けになれるんじゃないかと思っています。
僕が思うのはそんなところです。
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