なぜうちの会社でSlackのDMを原則禁止にしているのか
倉敷の美観地区で株式会社行雲という会社をやっている、犬養といいます。
最近、Slackの社内ルールをシェアしてくれている記事を見かけて、「ほんとそうだよなあ、同感だわ!」と思うことがありました。
弊社での社内ルールも、上記で書かれていることに80〜90%は似たところがあります。
その中の一つ、「仕事の話をDMでするのも原則禁止」も全くそうなのですが、ここではなぜそう考えるのか、DMによって何が阻害されることを懸念しているのか、をなるべくわかりやすく書いてみようと思います。
大前提となる考え方
まず最初に、Slackに限らず弊社の基本的な考え方として、以下があります。
伸びるポテンシャルがある人の学びを阻害するものを排除したい
個々人の弱み、短所は共有した方がよく、短所はみんなで補い合う
失敗や欠点があっても、それはその人自身を否定するものでは全くない
(これは当たり前ですが)仕事上の無駄を省き、スピードを意識する
これらは弊社の考え方やチームビルディングの基本にあり、Slackを使うルールも、そこに立脚したものです。
それぞれごく簡単にですが、説明しておきます。
(ここを長く話してたらSlackの話にたどり着かないので…)
1.伸びるポテンシャルがある人の学びを阻害するものを排除する
うちのような中小企業は、スタッフの長所を活かし、そこを伸ばさないと絶対にやっていけないわけです。
それを考えたときに、「学びを得られる環境、情報」や「参加できる余地」に誰にとってもアクセスできる環境でないといけないと思っています。
余談ですが、僕は子どもや若者の可能性の芽を潰す(もしくは狭める)ような教育の仕方にはずっとブチ切れています。
2.個々人の弱み、短所は共有した方がよく、短所はみんなで補い合う
どうしてもできないこと、苦手なことは、それを周りに伝えてくれたらいいんです。
そうしたら周りの人たちも、何をどう助けてあげたらいいかが分かるので。
1.は長所の話で、それはとにかく伸ばしてあげられたらいいんですが、この2.は逆に短所の話で、そこは無理に克服しようとしなくてもいい、と考えています。
そういう意味で、弊社にとっては「自己開示」って一つの大事なテーマです。
3.失敗や欠点があっても、それはその人自身を否定するものでは全くない
例えば遅刻をするのは、ルールの中でよくない「行動」ではあるけれど、それは「行動」がよくないのであって、だからといってその人自身を否定したり責めたりするものではない、っていうことです。
2.と3.は、いわゆる心理的安全性にかかわる話ですが、そこをチーム全体で担保することってほんと大事ですよね。
うちが完全にできているとは言いませんが、そこを目指して努力をしていますし、それが実現できるようなチーム設計をすべきだと思っています。
(その一つが、このSlackの使い方ルールっていうことですね)
4.仕事上の無駄を省き、スピードを意識する
これは一般論として、どの会社にとっても当たり前ですよね。
数分や数秒の無駄を気にできていないと、仕事上でもプライベートでも時間管理(もしくは効率的な時間の使い方)はできないままになってしまうよ、っていうことです。
どういう場合にSlackのDMを送ってしまうのか
さて、やっと本題のSlackの話に入ります。
DMについての考え方の前に、具体的なシーンを挙げてみると、その後の話も説明しやすくなる気がします。
では、人はどういった場合にSlackのDMを送ってしまうのでしょうか。
(という根源的な問い)
おおよそ以下の5つにだいたいまとめられるのではないでしょうか。
(それぞれ重複するところはありつつ)
他の人には関係ない(と思い込んでいる)業務連絡
他の人にとっての情報過多や通知を気にしての連絡
本人や他者のプライバシー・個人情報にかかわる連絡
他の人には直接伝えた方がいいと判断した連絡
「あの人って〜だよね」という噂話、他者の批評
それぞれのケースで、うちの会社としての考え方を説明します。
1. 他の人には関係ない(と思い込んでいる)業務連絡
2. 他の人にとっての情報過多や通知を気にしての連絡
ここには、けっこういろんな具体例があると思います。
遅刻、欠勤の連絡を上司のみにDM
部署の主要スタッフ二者間で「これだけお願い!」という取るに足らない連絡のDM
「こういう場合、会社のルール的にどうしたらいいですか?」という確認DM
このうち、一つ目と二つ目は、気にするところは違っても、通ずる話ですよね。
「これは私とAさんとの間で連絡・確認すればいい話だから、他の人に知らせるまでもないな。ここらへんまでチャンネルに投稿してたらキリがないし、ノイズが多くなってしまいそう」
そういう考え方でやってくれているんだと思います。
その気持ちは分かります。
ただ、分かるんですが、そうしない方が良いチームになると思っています。
一番の理由は、他の人がその情報に触れることができなくなってしまっているためで、それはつまりその人の「学び」や「参加できる余地」を奪ってしまっている、ってことになるんです。
「大根だけ買っといて!」もシェアした方がいい
例えばうちは飲食店もやっているのですが、「あ、ごめん、明日大根だけ買っといて!」みたいな連絡は日常的に起こり得ます。
その連絡を、主要なスタッフ同士のDMで行うのか、その店舗全体のチャンネルに投下して行うのか、で、だいぶ違うってことです。
「明日、大根だけ買っておく」という仕事を分解すると、まずは「あ、明日の分の大根がない、やばい」という誰かの気づきがあるわけです。
一般論として、こうした課題の発見は、キャリアや評価の高い人ができる傾向にはあります。
それをどうにかしなきゃいけないので連絡やお願いをするとき、それを「明日買いに行ってくれそうな人」だけにDMをしたら、他の人はそういった仕事が存在していた、ということすら分かりませんよね。
それは、仕事を自分たちだけで抱え込んでいる、独占している状態です。
そして一番大事にしたいのは、「明日の大根がない」という課題の発見をした視点を、他のすべてのスタッフに共有することで、その視点のことを教えてあげてほしいということなんです。
「学び」を奪っていると書いたのは、そういうことです。
大根を買いに行ける人は他にもいて、その人にとってそれは嬉しいことかもしれない
こうした連絡の共有は、「学び」のほかに「参加できる余地」も生めます。
「Aさんだったら大根を買いに行けるかな」と思ってAさんに依頼しようとした場合も、みんなが見えるチャンネルで、Aさんに「買いに行ける?」ってお願いしたらよいんです。
そうしたら、場合によってはBさんが「あ、自分が行く途中にスーパーに寄って買って行けますよ!」と名乗り出ることができるかもしれませんよね。
そうなったらBさんにお願いしてもいいし、なんならそうやって「自分もお店にそうやって貢献できる」ことをけっこう嬉しく思ってくれる人も多いと思います。
(特にうちの会社の場合は)
そうやって「参加できる余地」は全ての人に与えながら、いろんな仕事をやってもらえる環境を用意しておく、というのも、大事なチームコミュニケーション設計だと思っています。
そこでメンバー個人間のDMがあるかないかで、そこの課題や視点を共有するのを阻害する壁が生まれるかどうか、っていう違いがあるのですよね。
質問も、みんなが見えるところですれば誰かの役に立つ
「こういう場合、会社のルール的にどうしたらいいですか?」というような質問も、DMでされることがあるかもしれません。
これも、「みんなが見えるところで訊こう」が正解です。
誰かの質問に対する答えも、言ってみれば「視点の提示」と「その共有」なので、それ自体が価値のある情報になり得るんです。
授業とか講演とかを聞いた後、誰かが質問をしてくれて「あ、その質問のところ、気になってた!」っていうこと、ありませんか。
そういうことですし、なんなら弊社のスタッフにはその質問を最初にみんなの見えるところでできる人になってほしいなとも思っています。
困りごとや弱みをみんなに共有するのも同じこと
逆の立場、その投稿をする側からの話もしてみます。
「明日、大根がない」ということに気づいた瞬間から、それはその人にとっての「悩み」や「困りごと」になるわけです。
その「悩み」や「困りごと」さらにはそこから生まれる「みんな助けて!」っていう気持ち自体もシェアした方がいい、って話です。
シビアに言えば、「明日の分の大根がない」という状況は、在庫を管理する人のミスかもしれません。
でも起こってしまったことはそれはそれとして、「ごめん、こういう状況だから誰かお願い」と自分の失敗も認めつつアナウンスすることは、絶対にDMよりもみんなに対して発した方がいいんですよね。
上で書いた「失敗や欠点も共有することで補い合おう」っていうのは、そういうことです。
「自分が何に困っているのか」を共有することは、他の人に「あの人に自分はこういう点で助けてあげられるかも」という余地を与えている行為でもあるんですよね。
それは人に成長の機会を与えていることにもなる、とまで言ってしまってもいいかもしれません。
アプリの通知は、情報の受け手側の問題でOK
アプリの通知を気にしちゃう場合については、これは他の会社さんでもよく見かけることなので、さらっと触れるだけにしておきます。
もちろん休みの日にSlackを見る・返信する義務はないし、かと言って仕事をしている人は誰が休みかどうかを気にして発信する必要もない(メンションもしていい)、という考え方です。
休日など義務がない日にSlackの情報を受け取るかどうかって、個々人の自立の話であって、それを言ったらSNSの通知を切るかどうかも同じことだと思います。
そこは気になって見ちゃう人がいたとしても、(自身のメンタルの安定のためにも)適切なバランスを見つけられるようになろう、という方向に向かうべきで、その個々人の事情のために時間や配慮を費やすのは、スピード感のあるチームの仕事には繋がらないかなと思います。
この記事はSlackの通知に特化して書かれていますね。
プライバシーに関わる連絡は、もちろんDMを禁止していません
上で挙げた「DMを送るパターン」のうち、以下の二つについては、全く禁止していません。
3.本人や他者のプライバシー・個人情報にかかわる連絡
4.他の人には直接伝えた方がいいと判断した連絡
「他の人には直接伝えた方がいいと判断」は、「この情報はチャンネル全体に上げるよりも個別に伝えた方がいいな」と判断した場合です。
例えば誰かにネガティブな部分も含めたフィードバックをするときとか、メンタルが落ち気味な人に何かを伝えたいときとか、でしょうか。
「あの人って〜だよね」という噂話、他者の批評は論外
誰かがいないところでその人のネガティブな話をする、とか、根拠のない「〜らしいよ」みたいな憶測の話をする、とかも、SlackのDMで起こり得る話ですね。
ただ、これはもうSlackのDM云々の話ではないですよね。
そういう話をする人は、DMだけでなくカフェや飲み屋に集まって同じ話をしますし、その行動がチームの目指す方向を向いているかと言えば、おそらく向いていないでしょう。
それはコミュニケーションを諦めてしまっている人の行動で、チームの課題の解決に向かうものでもありません。
誰か特定の人がチームの課題になっているのだとしたら、それこそ本人と周りの人が見えるところで話しましょう、っていう話です。
結論:情報のシェアは他者のため
さて、ここまで読んでいただいて、DMのデメリットはお分かりいただけたでしょうか。
つまり、DMよりもみんなが見えるところで連絡をするという行為は、「利他」の話だと思ってるんですよね。
それでもDMを送ってしまいがちな人は、おそらく周りの人よりも「自分の心の中にあるなにか」を気にしてしまっているのだと思います。
ま、でも分かりますよ。
DMを送ってしまいがちになるケースって、そもそもの会社やチームとしての心理的安全性が担保されていないことが多いですよね。
チーム全体に投下したら、なにかイヤなことを言われるとか、よくない結果になった実体験があるとか。
そういう状況が多いのも、よく分かります。
例えば「自分がメンタル的にしんどい」みたいな話も、人に共有しづらいと感じるのはよく分かるのですが、少なくとも弊社の中ではそれとて気にする人はあまりいないというか、「伝えてくれてありがとう」と思う人ばかりだとは思います。
そのあたりは、Slackというツールの話を超えて、チーム全体での心理的安全性の話ではありますが、だからこそベースでそういった土壌はめっちゃ大事だよね、ということにもなります。
「SlackのDMは原則禁止」というルール一つとっても、それが機能するかどうかは他のさまざまな要素に拠るもので、ただそれらは一貫された考え方に基づいたものでないといけない、と自分も書いてて改めて思いました。
という、弊社のSlackのDMについての考え方でした。