間違うことに寛容な社会がいい
最近この二つのnoteを読んで、とても同意しました。
「間違うことを放っておくこと」や「間違うことに不寛容な社会」についての話です。
それぞれ、少しだけ引用しておきます。
この「結論を出さない」感じ、白黒つけず、曖昧な感じで共存している感じ、慣れるまでちょっと気持ちが悪く感じる日本人は多いと思います。何しろ、「正解がある」教育を受けてますから。
もちろん、政治などで白黒つける場面もあるのですが、そこでいちいち相手の人格まで否定するような言い方をしない、というのが大事かと。
世の中には「正解」と「不正解」というカードがあって、一度「不正解」の方をうっかり引いてしまうとその後の修正を容易に受け付けてくれない風土というか、空気のようなものがある、ということ。
そして「正解」を探すことに対してすごくストイックだなぁということ。いや、むしろ「不正解」を探し出して指弾することに対して、すごくストイックだなぁ、とすら思います。
今の日本は特に、間違いに対して不寛容
日本が間違いに対して不寛容な国である、というのはとても同意します。
それは小さい頃から「正解を出すこと」に偏って教えている教育面が、根本の原因かなと僕は思っています。
例えばディベートなど「正解を出すのが難しいこと」にもう少し慣れておく必要があるのでは、と思っています。
「正解を出すこと」そして「正解は出せるものである」という考え方に慣れてしまっているので、正解を出すのが良いこと=間違いをするのは悪いことという考え方になっていくんじゃないでしょうか。
でも、例えばディベートのような答えを出すのが難しいことに慣れておくと、必ずしも正解を出せないこともあるというグレーゾーンな考え方もしやすくなるのではと思っています。
※もちろんここでは法を犯すような間違い・失敗を許容しようと言っているわけではありません。
世の中には正解があるケースなんてごく僅か
そして大事なことは、世の中に出ると正解があるケースなんてごく僅かである、ということです。
どちらの立場も間違っていないこともあるし、ビジネスの世界では「正解を考えること」よりも「まずやってみること」が正しいことも多いでしょう。
例えばうちの会社では「間違いや失敗はしてもよい」ということをスタッフに伝えるようにしています。
そこには学びがあるものだし、失敗しないと分からないこともあるので。
例えば事業を始めるに当たっても、もちろんなるべく成功確率を高めるように準備しないといけないのですが、それでも失敗をすることもあるし、後から考えれば判断が間違いだったと言えることもあるかもしれません。
でも、そこで「失敗するかも…」と思ってアクションを起こさないのは、進化ではなくて退化への道を辿ってしまいます。
なので間違いに対して不寛容であるということは、事業や会社においてはイノベーティブなこととは反対のほうに行ってしまうし、そうした考え方と雰囲気が日本でイノベーティブな会社が生まれにくい一因になっているのかなと思います。
まずは身の回りに対して少し寛容になることから
社会全体の話になるとちょっと大きくなってしまうので、まずは身の回りの家族、友人、同僚に対して少し寛容になる人が増えたらいいなと願っています。
あとはSNSで見かけた知らない人に対して不寛容に怒るのも、です。
「怒る」というのは、どこかで自分は正しいと思っているからだと思うんですが、それも本当に正しいのかどうかも分からないですしね。
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