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台風クラブ

昨夜の夢に出てきた彼女はいつもと異なり、優しかった。しかも今のショートカットの彼女でなく、あの時のロングの彼女だ。

僕らは家を出て、思いっきり駆けた、あの学校へ。走ってもなかなか学校とのキョリが迫らないのが退屈で、松井さんの家の前にあったロードバイクを奪った。運良く鍵はついてなかった。その時に焦燥感や罪悪感を感じていたのが、これが夢ではないと感じさせた。
そこから2人で猛スピードで向かい、まもなく学校に着いた。午後19時頃である。そこでは、もう日が落ちた夜であったのに、生徒たちによる美術展が開催されていた。生徒はおらず、たくさんの保護者がそこを徘徊している。ロードバイクを放り出して、受付で松井ですと名乗って入場の許可を得た。僕はガールフレンドにするように、彼女の腰に手を回し、その体制で一階から作品を見て回った。まずあったのは、木目を下手に模造した柄の長机に置かれた、牛乳パックを長方形に切って広げ、そこにクレヨンで描かれた絵、30枚ほどであった。昔の記憶が蘇った、僕もこれを小学生の頃に作ったと。もしかしたらこれらは僕がその時に作ったものかもしれない?ここが僕の芸術の原点であったと感じ、声をあげて泣いた。この行為は彼女にちょっとでも自分が複雑な人間であると思わせるためでもあった。彼女の内面の複雑性を知っていたし、外面にもそれが溢れていて、それが魅力であった。自分の負けず嫌いの性格から彼女に追いつこうとしての行為でもあった。
そういえば、この夜は京大受験一日目が終わったそれであった。二日目に向けて休養をとらなければならないのだが、彼女との時間が貴く、自制心のない僕は離れることが出来ない。二階に上がるとおおきなスクリーンがあり、そこにはいつかに見たことのある映画のワンシーンが放映されていた。
そこで明日も会おうと約束して、この夢は終わった。

この夢から目覚めた朝は台風がちょうど通り過ぎたそれであった。台風といえば、一九八五年の台風クラブという邦画を思い出す。僕らが青春時代に見て、青春とはこれであると強く心を打たれた映画である。海外の青春映画を見ても何も共感出来ないのは当然で、同じバックグラウンドを持った日本人のストーリーが、青春とは何であるかを定義しようとしていた僕らを感化した。
ここで全て繋がった。
台風が来る夜は、毎度彼女の夢を見て、青春時代に戻るのであろうか。次は京都での旅の夢であろうか。その時はまた記そうと思う。

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