「言語化」
感覚とその表現手段を思考していく。
原始人は自身の感覚をどのように他人に伝えていただろうか。体を叩いたり、音を発したりして、伝えたいことを表現していたのではないか。
それは言語を操る現代の人々と比較して、解像度の低いものであり、骨の折れるような行為のように思える。
いかに解像度高く正確に自身の感覚を表現できるかということを思考して、言語が生まれたのだろうか。
教育で言語を教わり、他人に伝えるという経験をたくさん積み、少しずつ正確に伝えられるようになる。
しかし、私たちはある感覚、感情を言語化出来ないという歯痒い体験をしたことが何度もあるはずだ。感覚と言語が一対一で結びつき得ない。
もしかすると、言語よりも優秀な感覚の表現手段が今後発明されるかもしれないとふと思った。