ありのままにみる
Feeling(今日の一言)
みる目
ときどき思う。自分がみている世界と他人がみている世界は本当に同じなのだろうか? と。
男性の20人に1人は色覚に障害を持っていると言われている。20人に1人と言うことは、学校で言うとクラスに1人くらいは、違って見えている人がいるということだろう。それは他人にではなく、自分かもしれない。それくらい結構人の見え方というのは違っているのである。そして、これはあくまで色に関してなので、白内障の手術なんかは年間で100万件近く行われていることを考えると、もっともっと世界の見え方は多様なのかもしれない
それでも、人は何かしらをみているし、何かしらがみえている。それは器官としての目というのもあるが、心の目と考えることもできる。例えば、あるものを美しいと感じるのは、その人の網膜に映っている像なのではなく、その人がそれを美しいと感じる心にある。目に映っているものは同じはずなのに、それを美しいと感じるかどうか、というのは、その人次第なのだ。
そうすると、人というものは何をみているのか? というのは本当に人それぞれで、たしかに同じ物体をみていたとしても、その感じ方が人それぞれということは、人はそもそも同じものをみているという事象は存在しないのかもしれない。それくらい人は生きている中で違ったものをみているのではないだろうか。
そう思うときがある。
遊学
ありのままにみることができれば、世界はいつも美しい
心が沈んでいるとき、心が忙しないとき、ありのままに世界をみることは難しい。それでなくともいつも色眼鏡をかけて、世の中をみていて、その色眼鏡をかけていることさえ忘れてしまうのだから。
北海道も夏に近づいてきて、太陽が沈むのが遅くなってきている。ふと、外をみると夕焼けになっていることがある。さらさらと風に揺られる植物たちを照らす夕日。世界がオレンジに染まっていく。ただその景色をみているだけで美しいと感じる。
どこか、遠くの素敵なロケーションではなく、自分の家の窓からみえる、毎日みている景色のはんずなのに。
毎日みているはずなのに、でも、美しいと感じるときがある。ああ、きっと自分は忙しさや何か特別なものが美しいという色眼鏡をかけているせいで、ありのままに世界をみることができていなかったんだなと思った。
ありのままでみることができれば、世界はいつも美しいんだ。ただただ何気ない景色や植物たち。いつもと変わらない景色のはずなのに、ずっとそのままぼーとみている、見惚れていることができるくらい美しいと感じるのだ。
自分の心が美しければ、なんでも美しく感じる、というのは、いろんな本やだれかの言葉で知ってはいたものの、美しい心なんてどうすれば手に入れられるのだろうか? と、結局わからずじまいだ。でも、それは本当は難しいことではなく、ただありのままの心でいれば、世界は美しいと感じるのである。
それを知ることができてよかった。とても安心した。世界はありのままで美しいのだ。自然は美しいのだ。それを美しいと感じられない自分の心があっただけで、ちゃんと世界は美しいのだ。
A world where everyone can live with peace of mind🌟