見出し画像

天王寺七坂〜愛染坂編〜

こんにちは!歴史探訪家のタクヒロです。今回は天王寺七坂の南から4番目の愛染坂に行ってきました。

愛染坂とは坂を登っと所に愛染堂勝鬘院があることが由縁です。

施薬院→勝鬘院→愛染堂、名称の変化

愛染堂勝鬘院とはなんなのか。愛染堂勝鬘院によると、今から1400年前に飛鳥時代に聖徳太子による敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)からなる四天王寺を建立された。敬田院は寺院そのものであり、施薬院と両病院は薬局、病院にあたり、悲田院は病気や身寄りのない老人のための社会福祉施設にあたる。施薬院が現在の愛染堂勝鬘院の場所に建立された。

施薬院から勝鬘院に呼ばれるようになったのは、施楽院で聖徳太子が勝鬘経というお経を読んでいたこと。勝鬘経に出てくるお姫様、勝鬘夫人の仏像が本堂に祀られているため、勝鬘院になった。

勝鬘院から愛染堂と呼ばれるのは、平安時代以降は金堂に愛染明王が本尊として奉安され、愛染明王信仰が広がり愛染堂と呼ばれるようになった。

愛染坂を登ってみた。

では、実際登って見ると、中腹くらいに料亭「浮瀬亭」(うかむせてい)跡を発見。現在は建物で見えないが、昔は大阪湾まで見えていたことを想像すると、感慨深いです。

愛染坂を登ると愛染堂勝鬘院の門が見えてきます。

愛染堂勝鬘院には川口春奈さんも来ていると聞きテンションが上がり、当たると言われるおみくじを引いたが吉で、内容が入ってきませんでした泣。

みなさんもぜひ愛染堂勝鬘院に行ってみては

ご愛読ありがとうございます。
#愛染堂
#大阪
#旅
#川口春奈  さん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?