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エストニアで急性心筋梗塞・闘病記(2)
エストニアで急性心筋梗塞・闘病記(1)|Takumin|note のつづき
Day 4 - '目覚めよと呼ぶ声が聞こえ'
「オキロ!」
まだ視界がどうもうまく見えない上に、前夜、悪夢の連続でまだ意識がクリアになっていない病床の朝、突然の日本語!?にびっくりして目を開けると、シフトが変わったらしい担当看護師さん。でも口調とは裏腹ににこにこしている。
「身体を拭くからすこし横に転がってね」
と英語で言った後に、
「◆○%#&?」
と英語はもちろんエストニア語でもロシア語でもない指示。思わず怪訝な顔をすると、
「身体を回してね、ってこう言うんじゃなかったっけ?」
と英語で言って首をひねる。どうやら日本語のつもりらしい。
彼女の13歳の息子が日本のアニメのジョジョにはまっていて、それを一緒に見てるうちにいくつか日本語を覚えちゃったのよ、でも自分で話すのは初めて、と。だからやたら命令口調の日本語が多いのか(笑)。
清拭のあと、おむつを替え、左右に転がされてシーツや枕カバーを変え、少しさっぱりしたところに歯磨きのついた歯ブラシを渡され、
「自分でできる?」
正直腕はまだまだ重かったが、昨日よりは何とか動いた。
そのあと点滴やら血液検査(といってもあらかじめ刺してある管に検査用カートリッジを刺すだけ)、そして体温測定。37℃後半だったと思う。実はこの時、敗血症を発症していて、血液中から大腸菌DNA反応があり、同時に喉の傷由来の誤嚥性肺炎も起こしかけているのを後でもらった診療記録で知るのだが、その時は夜中にICUの隣のブースからやたらひどい咳が聴こえていたのでてっきり風邪をもらったと思い込んでいた。
ポリッジ(オートミールのお粥)の朝ごはん、昨日よりは食べられた、のあとは、ドクターによる問診。まだめまいがひどいが、それ以外はのどの痛み以外は特に痛みもない(胸の真ん中と両脇の痛みは心臓マッサージによる骨折、ただひどくはない)。そしてやっぱり昼頃日本から妻が来るという。経緯が良くわからなかったので半信半疑だったが、詳細を聴いてもしょうがない、まあ昼まで待つかと。
で、うつらうつらしていると、昼過ぎにほんとに妻がきた。どうも見覚えのある若い男の子と一緒だった。確か彼K君には数年前にエストニアに来た際に主に生活情報をシェアして上げた記憶がある。
妻の話によると、LINEを取りそこなった(闘病記(1)参照)あと、すぐにかけなおしたのだが応答はなく(そのころちょうど心肺停止)、その時は日本時間深夜だったので翌日もかけなおしたのだが、電話もLINEもメッセンジャーも丸24時間一切反応がないところに、名古屋の息子が「Facebookもインスタもずっと書き込みがない。Facebook廃人のオヤジにしてはぜったいおかしい!」と家族LINEで騒ぎ始めた。
でたしかにこれはおかしいと、妻が、エストニア関係の共通の知人に連絡するのと同時に、Facebookのわたしのタイムラインに「誰か消息を知ってる人は教えてくれ」と書き込みしたところ、即座に共通の知人を通してエストニア在住のK君に連絡が行き、彼が現地朝5時にも関わらずアパートまで見に来て、そのあと警察に問い合わせたら、どうも該当する人物が病院に収容されていると。
彼はそのまま病院に行くと、意識のあるなしは教えてもらえないものの(その時点ではまだ意識不明だった。そういう答え方をするんだな…)、昼まで待てばドクターから話は聴けるかもしれないと。Day 3の昼頃ちょうど目が覚めた直後にドクターから連絡が行き、その時すでにできていた「緊急情報集約」グループメッセンジャー(エストニア関係者やエストニアで知り合った友人たちに加えうちの家族全員、姉まで入っていた)で情報共有。すでに妻は羽田からヘルシンキ経由でこちらに来ようとしていたが、搭乗直前に「意識回復」の第一報が入って、みんな胸をなでおろした、とのこと。
それが、Day 3つまり意識回復した日の夕方に「奥さん来るよ」とドクターが教えてくれた真相。なんというか、うーん、すんごい情報連携だったわけだ…。距離も時差もあるのにね。みなさまほんとにありがとうございました。ご心配をおかけしました。とてもとても助かりました。
ただ警察と病院が正確にわたしの人物情報と経緯と状況をつかんでいたのは、やっぱり
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これのおかげ。つまりエストニアIDを搬送時に提示していたおかげで、すべての情報が集約されて行政からいつでも参照できるようになっていたから。救急だけでなく警察も正確な情報をリアルタイムで把握できていたから。
さすがだよエストニア。
まだめまいがかなり残っていて、あまりゆっくりと話はできなかったが、メガネやらスマホやらが手に入り、それ以降は常時連絡可能となった。すごいスピードだ。まだ体も一人で起こせないぞ(笑)。
近況をシェア、するでしょ、まずは。
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コメント本当にありがとうございました。
Day 5
夜中はあまり悪夢を見ることもなく、比較的ぐっすり。ただ明け方緊急搬送があったり、あちこちでアラームがなったり、ICUは決して静かではない。
これはもしかしたら違う日の朝ごはんかもだけれど、
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だいたいこんな感じ。オートミールのお粥(ポリッジ)、もしくはトウモロコシのおかゆ、黒パンまたは全粒粉パン、バター・マーガリン、そしてハムまたは卵という感じ。飲み物は紅茶かインスタントコーヒー。この日はおやつ?にKalevのチョコがついていた。
まだ喉に大穴がのこっていて飲み込むのはしんどいが、だいぶおなかはすいていたので何とか食べる。それでも半分いかないぐらいかな。
抗生物質が効いて、肺炎も敗血症も収まりつつあるようだ。熱も下がって気分は悪くない。なんなら発症前や、その前の「どうにも不思議に体のだるかった」前の月よりもすっきりしている。相変わらず体は重いし、寝返りすると息が切れたりはするが。
一日のルーチンとしては、
・7時 - 検温、血液検査、点滴(追加または交換)、清拭・歯磨き(櫛もくれる)
・8時過ぎ - 朝食
・9時ごろ - ドクター回診(主に問診、時々心エコー)
・12時半ごろ - 昼食
・17時 - 夕食
・19時 - 清拭・歯磨き
・20時ごろ - 夜番のドクター回診(ほとんど会話だけ)
・22時 - 減光
という感じ。ICUなので完全に真っ暗にはならない。
午後にはPhysiotherapy(運動理学療法、で合ってる?)の療法士さんが来て、ベッドの上での基本的な運動方法を教えてくれる。いくつかセットで、それを「呼吸や心拍が苦しくならない範囲で」「でもできれば毎日欠かさず」続けなさいと。同時にこういうものを渡されて、
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一日5回、ぶくぶく息の続く限り吹き込んで肺の能力を取り戻す訓練をしなさいと。確かにしんどいねこれは。
晩ごはん。ちなみにこの日は「パンケーキの日」で、まるで節分に食べる恵方巻のように、エストニアではこれを食べる。
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なんと入院食にも出るのねw すごいな…。
詳細はこちら。
2023年、今年のVastlapäevは2月21日!(エストニア) | 地球の歩き方 (arukikata.co.jp)
甘くてのどに優しいが、さすがに全部は食べられず、1/4だけでごちそうさま。
夜には抗生物質が効いたせいか熱も下がってきて、かなり気分がすっきりした。よく眠れた。
Day 6
朝の検診でドクターから、今日中に一般病棟に移るかも、と。ええっそれ早すぎないですか…。でもその言葉通り、まず尿カテーテルが抜かれ(以降は尿瓶 "urine bottle"を使う)、右手の点滴用の針が抜かれ。清拭も、ウェットタオルを渡されて自分で拭きなさいと。はいはい。だいぶ腕も動くようになってきた。
夕方になって、さっきのドクターがやってきて、
「ごめん移動は明日になった。移動先の一般病棟がいっぱいで、受け入れできないと言ってきてる。申し訳ないけど明日まで待って」
そんなこともあるのね…。
ただ運動リハビリはぼちぼち始めなければならないし、立てなくてもベッドの上で座ったり軽い運動したり、のためには「着るもの」が必要なので(それまでは基本すっぱだか)、一般病棟からパジャマを持ってきてくれたのでそれを着る。それでだいぶ寝る時も楽になった。裸で寝るのに慣れてないと、温度調節が難しいのよね…。
この日あたりからFacebookの他の投稿も見始め、「緊急連絡網グループメッセンジャー」の過去ログを見たりして過ごす。インスタのリールを見たり。あちこち写真を撮ってみたりも。スマホは偉大だ、時間が簡単につぶれる。あっという間に夜になる。
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このあたりからだいぶ晩ごはんが楽しみだったのだが、今日はなんと…ボルシチ!
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おいしい。ほんとにおいしい。うれしすぎる。まあボルシチってこの辺では豚汁的な位置づけで、贅沢なごちそうというわけではないのだけれど。
闘病記(3) につづく。
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