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利用するなら「適正」を。利用されるなら「人格」を。

※この記事は、2021年12月28日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。

会社でも部活でもそれ以外の団体でも、「組織のもとで活動」した経験のある人は多いと思う。同時に、「自分は役に立っているか?」について考えたことのある人も多いはずだ。

ところが、組織のもとで活動していた時に、「自分は組織を利用しているのか?それとも利用されているのか」について深く考えたことのある人は少ないのではないだろうか。

「利用する、される」という言葉は、なんとなく使い回されている印象を受けるので、表立って使いたい言葉ではない。ただ、自分は組織にどう扱われているのか?あるいは、どう扱っているのか?について考えることは、この先の働き方を考える上でもすごく重要なことだ。なぜなら、それを考えないと、「本当に組織に使い捨てにされる」ことがあるから。

例えば歴史から引き合いを出すと、組織のあり方について考えなかったことで崩壊していった国家がある。それが、古代中国の「隋」という王朝。2代目の皇帝に即位した「煬帝」という人物がいたが、彼は中国史の中でも、悪政を働いた暴君として有名だ。

具体的にいうと、大運河の建設である。中国には黄河と長江という2つの大河が流れていて、それらを結ぶような運河が作れたら物資の調達が便利になって経済がより発展するだろうという見込みがあった。

ところが、大運河の建設は非常に大変で、莫大な予算と割いて、女性や子供にも重労働を強いるほどに時間と労力をかけた。何せ、自分が即位している間に完成させないと自分の成果にならないので、とにかく急ピッチで建設を急がせていたのだ。

その甲斐もあって、なんとか大運河を完成させることができたが、莫大な予算と過酷な労働を求め過ぎたせいで、民衆による大反乱が起きてしまい、隋はわずか34年ほどしか続かずに滅びた。

この歴史から学べることはあるとすれば、僕は「組織への向き合い方」だと思っている。煬帝は成果を上げることに急ぎ過ぎたせいで、金と労力を過剰に消費して、反乱の気運を高まらせてしまった。大運河の建設自体は悪いことではないが、掛かる予算と普段の政治活動に係る経費とのバランスであったり、どんな人材が建設に適しているか、国民に負荷をかけ過ぎず完成まで持っていくのにどのくらいの時間がかかるのかなどについて、もう少し検討するべきだった。

一方、民衆側も皇帝が無茶な公共事業をやり出そうとしていることをいち早く知って、政府に改善を訴えるか、一時的に国から避難するなどの対策を取る必要があったかもしれない。

組織に属している人間は、「利用する側」と「利用される側」でそれぞれ考えを持っておかなければならない。煬帝が国のトップとして民衆を利用する立場にあるのだとしたら、建設に向いている人材や国の予算や情勢について「適性」を見極める必要があるだろう。民衆がトップの命令に従う立場にあるのだとしたら、皇帝が民衆に配慮した現実的な政治を行う人物かどうか、その「人格」を見極めなければいけない。

これは身近な例でもそうだ。勤めている会社の社長が、社員の給与や保障、あるいはモチベーションを常に高めてくれるような仕組みを常に考えてくれる「人格」があるのかどうか?社長や代表の立場にある人間なら、社員のよく観察して、一人一人が自分に合った仕事ができているかどうか?あるいは、この社員は、自分の会社ではなく別の会社に転職した方がもっと活躍できるんじゃないか?と「適性」を見定めることも重要だろう。

一度採用した社員をずっと守り続けることが必ずしも良いとは限りない。時にはその人の特徴を考慮して、切り捨てる選択も必要になる。むしろ、そういう選択を躊躇なくしていくことが、トップの一番大事な仕事と言っていい。

もちろん、「利用する、しない」がどちらの立場なのかを一概に定めることはできないが、組織に属しているのなら、両方の立場については一度考えて、利用するなら相手の「適性」を見て、利用されるなら、利用されてもいいと思えるだけの「人格」がその人にあるのかどうかを見定めることが必要ではないかと思う。

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