真似は善か?悪か?
真似に対する認識は何だろう?
ゴミ拾いをしたり、電車を席を譲ったりする人格者の真似をする人が増えたら、社会はもっと良くなるかもしれない。
一方で、著作権のあるアートやデザインの世界で、真似はあまり良いものではないという印象がある。
この違いは何だろう?
この違いはなぜだろう?
個性が保たれていない真似事は良くないのかな。
境目を決めるのは難易度が高いのだろう。
だから、AIが創るアートの著作権などが問題になっている。
誰かが誰かの真似をすることで、不利益が生じる場合がある。
これを避けるために、真似事が悪とされる場合があるのかもしれない。
ある本に「誰かを模倣し、誰かに模倣されるミラーリングによってニューロンは活性化され、人間と社会は進化した。」と書いてあった。
知識の継承があるからこそ、進化してきた。
個人のクリエイティビティのみで、真似事なしに生きることはもはや不可能な気がする。
本物は真似されるほどに価値がある。
本物は真似されてもコピーとはならない。
本物は真似されたからどうこう騒ぐ存在ではない。
逃げも隠れもせず、己を探究していくから本物なのかもしれない。
一本筋を通して、アイデンティティを確立していくために、手段として真似事があったって構わない。