うつと関わる全ての人に
はじめに
現代でかなり多くなってきたうつ病ですが、隠れうつ病、双極性障害など昔はうつ病と診断されなかった人たちが。現代社会でのハラスメントに悩まされた人たちが。環境が変わって適応できなくなった人たちが。
あらゆる人たちがうつ病だけでなく精神的な疾患をもっています。
その人たちはなにか悩みを抱えていたり、
【言ったところでなにもならない。】
というような方が多いですが、
私はうつを患ったり、精神疾患の診断を受けた人を尊敬しています。
乗り越えた方もいれば、今現在、なにかに立ち向かい。解決しようとしている人も。
全ての方に尊敬の意があります。
なにかそういった方の助けになったり、悩んだりしている方はもちろんのこと。
身近にいてどうしたらいいのかわからない人達の助けになれればと思い、今回の投稿をさせていただきます。
まぜるな危険
私が体験したことはある一定の精神疾患には適応されるのではないかと思いますが、
全ての精神疾患の方に。そして十人十色という言葉があるように。全ての人に適しているかというとそういうわけではありません。
あくまでも私1個人が体験した中で、受けてよかったこと。嫌だったことをここに記します。
まず。私が体験した中で嫌だったことを挙げていきます。
労いの言葉をかけられる
(頑張っているね。などの応援の言葉)休息を促される
(しんどかったら休んだらいいよ。などの言葉)怒られる。説教をされる。
大きく分けるとこのような部類です。
かなり気難しく。
優しさの方向が違えば嫌になり、
厳しくされても嫌になる。
全てが嫌になるということなのです。
今思うと相当周りの人たちに迷惑をかけていたんだと感じます。
当時、精神的に追いやられていた自分は、
少し突かれると折れてしまい。
撫でられると折れてしまうという。
なんとも言えない弱すぎる生活を送っていたのでした。
これで気づいた方も多いかもしれませんが、
自分が思っている優しさは相手にとっては優しさではなく。
相手を思って言っている言葉はかえって相手を傷めつけている可能性もあるのです。
アメと鞭という言葉がありますが、
本当にこれらを使い分けるというよりも、
【まぜるな危険】
近づくな。言っているわけでもなく。
どこまで相手のことを考えて、少しずつ寄り添っていけるか。ということなのです。
この接し方で助けられた
私は生死を彷徨うほど死の淵に立つことはなかったですが、
自殺未遂を2度経験しました。
その時に生きようと思い、現在ではそう思うことはありませんが、
そのタイミングで助けてもらわなければ、
今この地に立っていない。
この投稿ができていない。
と感じます。
その接し方。接され方は
取り繕った優しさではなく、
普段通り
という点です。
普段通りでいいんです。
なにも優しくしようとか。気にかけるとかしなくていいんです。
私も当時はかなり繊細で。
人が自分にどういった対応をしているのかがすぐにわかるので、
変に優しくされたり、おかしなことがあると、
その些細な変化に気づいて自分を閉ざしてしまうのです。自分自身で遠ざけてしまうのです。
これは冒頭にも記しましたが、十人十色なので私はこの接し方で心を開き。変わったということです。
全ての人がそう当てはまるわけではありませんが、私がなにか相談を受けると真剣に頭が痛くなるほどその人のことを考え、相談もなにもないと普段の対応をするように心がけています。
そういった方が相手の場合、どう考えているのか。ある程度わかる私はこの対応で「大きな失敗」をしたことはありません(自覚的には)
最後に
精神的ななにかを持っていない人やなに不自由なく生活している人にはわかりづらいかもしれませんが、
当人はかなり苦しんでいます。
誰にも言えないこと。誰とも話したくないこと。
理解し難い点が多くありますが、
この投稿を見ている人はその誰かを助けるための1人になるかもしれませんし、
その人の命を助けることがあるかもしれません。
私は助けられた側の人間で、今、この世界で生活しています。
気づいていないかもしれませんが、みなさんも誰かを助けたことがあるかもしれません。
今。この地に立っているからこそ。私もこれらの投稿で誰かの役に立つのであれば。
そして同じ悩みで悩んでいる方、
周りにそういった方を助けてあげる人になっていただければ。私はこの投稿をして良かったと感じます。
そして。周りにそういった方々がいれば、手を差し伸べるのももちろんそうですが、
普段通りの接し方で変わらず接してあげるというのも1つの方法だと思います。
そうして世界が少しでも明るくなればと感じます。