誰かに助けてもらうこと
はじめに
人は生まれてから必ず1度は助けてもらったことがあると思います。
生まれてから立つことも話すこともできない自分を抱きかかえ、移動してもらったり、食べさせてもらったり飲ませてもらったり。
それが大人になる過程でも同じで。仕事でも同じです。
需要と供給が成り立つ世界で。生きるためにお金を誰かからいただき生活している。
それを忘れてしまったりすると、自然と感謝することを忘れてしまったり、助けを自分から拒んだりすると私は考えています。
この記事を読んでいる方は、
少なからず誰かの助けになったりしているはずです。
それがたとえ生きているだけでも。
誰かの心の支えになっています。
時には誰かに甘えてもいいです。
人生は毎日、毎時間が選択で生きています。
助けてもらう。そんな選択をしてもいいと私は鬱を経験した際に実感しました。
少しでも多くの方の命が人生が救われ、豊かなものになれればと思い、この記事の投稿をさせていただきます。
助けてもらわない生活
逆に助けてもらわない生活だったとするとどのような生活が待っているのでしょうか?
前回の記事でも書きましたが、
【孤独】
が待っています。
孤独とは辛いもので、
自給自足で社会からも断ち切り生活するのであれば構わないと思いますが、
現代の社会での孤独はかなり心も身体も辛いものです。
私は誰かの前では普通、いつも通りを演じて、
家では本来の存在になるという
二面性・仮面を被った生活をしていました。
誰かの前でも気持ちを理解してくれない(自分が悪い)。
それは家の中でもそうで、
常に孤独を感じ、自給自足まではいかずとも、社会から断絶されていた気分で、
死に対して。自殺に対して考えがどんどん進んでいくのでした。
どん底を経験したからこそ伝えたいこと
孤独でいいんですよ。
と言う方も多いですが、本当の孤独になると
自殺に対しての思いに拍車がかかります。
誰かの力を借りることは恥ずかしいことではありません。
なぜかと言うと冒頭でもお話ししましたが、
1度経験しているからです。
とは言いつつも恥ずかしさであったり、
プライドであったり、様々なことが邪魔して話せずに。助けを求めずにいます。
それが誰かに話す。
という解決策以外でもいいと思います。
私はなにも気力が起きなかった時。
動かなかったとき。
どうしたかと言うと。
もちろん誰かに頼ることもしましたが、
モノに頼りました。
ただ無心で何も考えず、自分が思うままに
革靴を磨いたのです。
薄暗い部屋の中で。無音の中。
革靴を磨くのには、ブラシの種類、オイルやクリーム、リムーバーなどあらゆる事柄に順番があります。
当時のことを覚えていないと思いますが、
その革にとって適していないことをしていたかもしれません。
順番が異なっていたかもしれません。
しかしながら、私にとっては
誰もいない環境で、誰にも邪魔されず、
なにを言われるわけでもないその環境が嬉しかったのかもしれません。
革を傷めつけていたかもしれませんが、
自分にとってそれが生きがいだったのです。
もし仮に誰かに頼ることができなければ、
そういったモノに対してでもいいと思います。
最後に
立ち直るまでには時間がかかると思います。
私は社会になにか自分の状態やメッセージを伝えるまでにたった3ヶ月程度でしたし、
【完全に】立ち直るまでは1年半かかりました。
それがどれだけかかってもいいと思います。
これから先の未来の方が長いです。
本当の意味で夢中になれるもの
夢の中にいるくらいそのことだけに没頭できるものを試してみてください。