お疲れ様です。たくみです。

信長、秀吉に仕える
文化を作り上げた

(茶道)
・奈良〜平安
→「喫茶」輸入
・鎌倉時代
→禅を広める手段
栄生 源実朝広める
道元 「興座教訓」
・室町時代
→村田珠光「茶の湯」
 足利義政
・戦国時代
千宗易(後の千利休)
武野紹鴎「侘び茶」


(織田信長)
→茶道を政治的影響のあるカルチャーに持ち上げた
(御茶湯御正道)
→茶道の先生だった千利休がとてつもない力を持ち出した

千利休
堺に生まれる
商人が街を作っていた

【時系列】
49才 信長が堺の名物を強制収集
52才 信長の京都妙覚寺茶会の茶頭(茶の湯の仕切り役)名物を褒美にした。茶会を開けるのは4人の武将(柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、豊臣秀吉)
61才 本能寺の変
信長の死とともに名物も灰になっていた
秀吉の命により茶室「待庵」作る
62才 秀吉の茶頭になる
64才 禁裏茶会にて正親町天皇に献茶
   「千利休」となる
65才 禁中茶会にて「黄金の茶室」を組み立てる
   皇居内に作る
66才 北部大茶会
70才 堺へ追放。京都にて切腹(秀吉によって)
   罪状 ①自分の器を高額で取引
      →最初から販売していた
      ②大徳寺に木像
→千利休が力(影響)を持ちすぎた

【名作】
・楽焼
→黒
・待庵
→茶室、2畳

信長と秀吉に重宝された
茶道=おもてなし道
→来た人を感動させる
「四規七則」和敬清寂
→普通のことをやるのが難しい!

大茶会と丿貫(千利休の兄弟子)
→丿貫(質素)と利休(権力)の対比
小田原攻めと山上宗二(利休の弟子)
→利休を信じすぎて秀吉に斬首

辞世の句






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