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劇団コケコッコー「雨やどり」
プリマ旦那野村が主宰の劇団コケコッコー第3弾「雨やどり」が無事千穐楽を迎えました。
脚本、演出を手掛けた野村から暗転無しで、時間の進行を黒板だけで進めたいと聞かされていました。
セットに関しても吉本っぽさを無しにしたいと。それを受けた美術家さんのデザインはスゴくて、イメージ図だけでも「おぉー!!」となりました😊
そのイメージ図を元に皆でもっと良いモノは何か?を探求して、トイレや手洗いをスリ硝子にして、
人の動きを途切れさせないようにしたり、冷蔵庫や棚があるキッチンに奥行きを作り出したり。
とにかく「生活感」と「時代錯誤」を野村を中心としてスタッフ全員で追求しました。
一つ一つ作られてゆく灯りも、まだ完成していなくても美しいと感じるくらい、美しく汚いアパートでした。
因みに、これは雨のシーンを描く照明です。
降雨のシーンも長かったですが、芝居の邪魔にならないように、色々趣向が凝らされていました。
細かい部分で言えば、殆どの方が気付かなくても、来場された2人~3人が「あ…」と思ってもらえるような
縁側の上がり框(かまち)下のクモの巣や、ピンクのスリッパは揃っているけど、黒やグレーのスリッパは不揃いにして、男女のガサツ差をなんとなく表現してみたり。
冷蔵庫の隣の棚には陽介(須崎)の大好きなドラゴンボールの漫画が入っていたり、テーブルに置くお菓子一つとっても拘り抜き、この空間に何年も何十年も本当に人が入れ替り立ち替り生活していた感じを魅せるように皆が考えて動いていました。
そして、冒頭にも書いた黒板の重要さに今回は大いに悩まされました。
実際の黒板ではなくセットなので、黒板消しで思ったほど綺麗に消えない問題、黒板が揺れるなど、現場で問題が発覚。
上記の写真のように、書いて消せばどんどん白くなり、黒板消しをどれだけ綺麗にしても、ホンモノの鉄板ではないから消去しきれない。
練習する毎に白くなって、どんどん大切な文字が読み辛くなる。
水拭きすると、塗料が剥げてムラになったり、から拭きでは効果が薄い…。
やけくそで、もうイッペン掃除機で吸うたれ!!
これが正解でした(笑)
文部科学省もビックリの黒板消し法です。
全然推奨出来ません。メチャクチャ時間掛かります(笑)
本番までは大道具さんや衣装さんもおられますが、公演が動き出すと最小限のスタッフになります。
今回の公演でいえば、技術スタッフは進行、音響、照明、舞監の4人で公演を進行していました。少数尖鋭なので、掃除や清掃もみんなでやって、スゴく一丸となれたと思いました。
そしてそれぞれに信頼関係が出来ているから、互いに意見交換して演出効果がさらに良くなってゆく訳です。
それは何故か。
みんなが、野村が書く作品を信じているからです。
恐らくそれは我々裏方だけでなく、出演者もそうだと思います。
忙しい中書き上げ、書き直し、やり直し、我々の知らない部分での苦悩や葛藤は推し量れません。
それでもみな、彼のクオリティを信じて完成を待ち、一生懸命試行錯誤の末に出来上がった作品です。
出来のイイ弟と出来の悪い兄。
僕にも弟がいます。
僕は明るいタイプなので、友達も多く、クラスでも中心になるような学生時代でした。
弟は小学生の頃に不登校になり、ずっと家で絵を描いたりしていました。僕はそういう目の前から逃げた弟に心底ムカついて、何度も喧嘩を吹っ掛けました。
学校に行くのは当たり前、イヤなことに立ち向かうのが人間の在り方だ。と自分の概念を正義として弟の逃げたヌルい考えを認めませんでした。
その後弟はイタリアに芸術を勉強しに留学すると言い出しました。
正直、徒歩10分の学校にも行けないヤツが飛行機で10時間のイタリアで生活出来るんか?と思いましたが、二度の留学を経て、帰国後始めたフラワーアレンジメントで作る作品は、客観的にみても綺麗で、弟の全てを受け入れられなかったことに対して猛省しました。
「出来/不出来」
それも個性で、容易くなんでも出来てしまう人間に一番必要なのは、責任や自信ではなく、寛容さだったんだなぁと、改めて思いました。
最後になりましたが、ご来場下さったみなさま本当にありがとうございました。また機会があればお越しください。
「さようなら」