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久我山発,小平経由,博多行き。
これは彼を外から見た感想で、実際の本人の心情はわかりません。だから、15年間その姿を見続けた人の感想文としてご覧ください。
12月18日、シャフタール・ドネツクとのチャリティーマッチをもって、アビスパ福岡の田邉草民が引退する。
サッカー選手なら誰しもが訪れる現役引退の日。この時期はさみしいニュースが多くて、毎朝ネットニュースを見る勇気が必要だ。
アビスパ福岡サポーター多摩エリア担当の僕にとって、田邉草民(ここからはいつも通り「ソータン」と呼ぶ。田邉の漢字に自信がないから笑)は特別な選手だった。
彼との出会いは2008年まで遡る。
世田谷区と杉並区の境目にある井の頭線久我山駅。閑静な住宅地で、当時僕はこの辺に住んでいた。国学院久我山高校は駅からちょっと歩いたところにある。都内でも有数の進学校であり、スポーツも強い文武両道の学校だ。久我山高校サッカー部は、冬の高校サッカー選手権大会に出場した。
選手権の3回戦で魅せた破壊力抜群の攻撃的なサッカー。その中でひと際輝いていたのがソータンだった。脚が速いわけでも、パワーがあるわけでもなかった。高校生とは思えない柔軟さと余裕が印象に残った。そして何より、都会の香りのする選手だった。
高校サッカー選手権での活躍ののち、彼はFC東京に入団する。プロになっても彼への印象は変わらなかった。主にボランチとサイドハーフでプレーし、攻撃のリズムを造る。そして徐々に強度を増す姿に嬉しさを感じた。
特に大竹洋平や梶山陽平と織りなす攻撃は、FC東京特有の「熱く緩いロマン」を感じさせるもので、2018年までのプレーは「僕のソータン像」のままだった。
愛を込めて言うと、柔らかく・器用で・優しいプレーヤーで、僅かでも君にエゴがあれば…と思う選手。ソータンは攻撃の「中心の一部」だった。それがFC東京の色に合っていた。
2018年末、僕は世田谷を離れる。
それと同時にソータンも西東京を離れた。
遠くにいくと思ったソータンが移籍先にしたのは
アビスパ福岡だった。
嬉しかったけど、本当に意外だった。
まさかソータンが首都圏から出るなんて!君は杉並で生まれ育ったシティボーイのはずだ。なんなら急にヴェルディとか移籍しちゃうタイプだと思ってたのに笑。
2019年のアビスパは、一言でいうと地獄だった。
常に張り詰めた試合の中で、ソータンのプレーはサポーターに深呼吸する時間を与えた。ボールが足元にないと輝かない選手だったはずの彼が、チームのためにスペースを埋めている。そのプレーからはこれまで通りのサッカーIQと覚悟を感じた。あのソータンが変化していた。
2020年からの長谷部監督体制。
ソータンの役割はボランチでバランスをとることだったと記憶している。
昇格を目指すチームでは、この年加入した選手が活躍を見せた。その中でソータンはいつも通り器用に、チームに余裕を持たせてくれた。
記憶に残るプレーが少ないのは、きっと彼がスムーズに試合に入っているからであり、いいことなのだろう。
そして終盤戦。彼は記憶に残る選手になる。
結果次第では、自動昇格圏を失いかねない試合。0-2で敗戦濃厚のチームを復活させたのは、ソータンの泥臭いゴールだった。このころにはもう東京のソータン像はなくなっていた。闘うソータンだった。
J1に昇格した2021年、2022年。コロナウイルス感染で壊れそうなチームを、ソータンは縁の下で支えていたと思う。例えるなら、在庫が切れそうになると君が補充されて、なんとか営業できる。みたいな状態だったと思う。
2023年になった。
僕は今年、ソータンのプレーを生で見ていない。
プロサッカー選手だからこの状況は良くない。
もしかすると。と思っていた。
きっと、「まだできるのに!」という意見が大半だろう。
でも僕はそうは思わない。
なんとなく、ソータンっぽい判断だと思う。
君はいつだってサッカーに余裕をもたらしてくれた。だから君のサッカー人生にも余裕があっていいと思う。
ボールがないと輝けない選手だったのに、いつのまにかチームのためにボールを離しスペースを埋めていった。ボールから離れても輝けると証明し続けたんだから、これからはサッカーボールがなくても輝けるはずだよ。
ソータンお疲れ様。
僕は今年、ソータンのプレーを生で見ていない。
だから今日、見に行くことにするよ。