寿司と愛④~さえき田~
東銀座5丁目
みゆき通りから
一本入った雑居ビル
エレベーターでB1を押す
するとそこには薄汚れたビルからは想像できない
美しく、眩い白木で出来た引き戸と、
厳かな雰囲気の暖簾が姿を現した
そう、ここが
寿司を好むものだったら
知らぬものはいない
死んだ親父の店
鮨さえき田
である
「お・・お坊ちゃま・・来られたんですね・・その頭どうしたんですか?」
ひどく疲れた顔で俺を出迎える白髪交じりの男
親父の2番手として
長年板前をしている男、前川 清吾(58)だ
「前川、親父が死んで営業はできてるのか?」
「へぇ、、親方が亡くなってから、2番手である私が握ってるのですが…いかんせん…親方はずっと仕込みも自分ひとりでやってましたし、
マニュアルなんかもないもので…見よう見まねでやってるのですが‥」
「客はなんて言ってるんだ?」
「正直に言うと、途中で帰ってしまうお客さんや、
常連さんも……誰も戻ってきてくれない状態なんです………
私ももうどうしたらいいか…親方の店を守らなければいけないのに……」
「そうか、一度俺に握ってくれないか?
この中で、一番親父の寿司を食ってるのは俺だからな」
「そうですね、わかりました…よしお前ら!お坊ちゃまにオマカセを!」
※オマカセとは、客ではなく、店側が握りやつまみの種類を決めメニュー構成を行う。もともとは現在も最高級店として存在する銀座きよ田の2代目「新津武昭」氏によりこのおまかせコースは生み出されたという。
天才職人であった「新津武昭」氏に任せれば大丈夫、というのが語源という説が濃厚。
そういって前川は
つけ場に立ち、握り始めた
親父が握っていた順番と同じ順番で
赤身、中トロ、大トロ、
アジ、アオリイカ、エビ・・・
素材自体は市場で最も高価で最高なものを使っている
マグロの仲買は岩司(いわじ)
その日一番いいマグロがさえき田にやってくる
だが、
前川が握る寿司は
親父の握ったものと全く異なった
親父の寿司は
ネタとシャリが
まるで掛け算のように口の中でほどけ
シャリの酸とネタの油分が科学反応を起こし
思わず笑みがこぼれる
たった一口の中に
たくさんのドラマが脳みそを駆け巡る
そんな衝撃を受けたことは脳裏にやきついてる
ガキの頃から
無理やり食わされていた寿司
途中投げ出し
俺は寿司から逃げるように離れていったが
親父の二番手、前川の寿司を食べたとき
なぜか急にガキの時の
親父のことを思い出し
つー
と涙がほほをつたい、こぼれた
そう
初めて
寿司を通じて
親父が死んだことを俺は受け止めたのだ
俺の記憶の限り
家では魚しか食べることを許されず
数種類の酢や醤油を飲まされたり
10本のワサビをすり
どれがどのワサビで
生産者はだれか
ブラインドテイスティングをされたりのスパルタだった
そして間違えると、
脳みそが飛び出るまでシャリ用のどでかいシャモジで頭をぶん殴られるのだ
そんなめちゃくちゃなことを営業後の店でさせられたことを思いだした
「お坊ちゃま、どうされたんですか?」
涙をぼろぼろとこぼす俺に前川は心配そうに顔をのぞく
俺は
決意した
ずっと嫌いだった
目をそむけてた
寿司と向き合うことに決めた
死んだ親父に
何も親孝行もできないし
今でも好きか嫌いかと聞かれたらわからない
ただ、
一つだけ
死んだ親父と俺は寿司で繋がってる
それを今日
魂で汲み取ったので
俺の人生を
寿司に捧げることに決めたのだ
「前川、ありがとう
この店は俺に任せろ
銀座で親父を超えられるのは
俺しかいねぇだろ」
米に魚を乗せただけの
ただ、ただシンプルな料理
それが寿司だ
ただ、そのシンプルの奥には
計り知れない絶望と、
そして人生を捧ぐ希望が存在することは
まだその時俺は知らなかった
舞台は修行編に移る
(つづく)
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