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寿司と愛⑩~オヤジの魂~

『持って崩れず、口の中でホロリと綻ぶ』



舌の上に


ネタが降着し


咀嚼するごとに香りが鼻を通り


一粒一粒のシャリの塩味と酢が


ネタの脂と乳化するとともに


山葵の辛みと香りが



これでもかと旨味を引き出し浮彫にする



「酢飯と一切れの魚」


そのシンプルな料理には


複雑に入り組んだ技術・仕事が隠されている


目の前で


颯爽と寿司を握るその職人の姿の裏には


簡単そうに見えるかもしれないが


ものすごい細やかな技術とひたむきな努力が隠されているのだ







『こ・・こぞう!!!やりやがった』



一巻目を握り始めたとき


今回の決戦の


審査員である


久十兵衛 総料理長


今田 清次郎は今まで聞いた事もない声を上げた


「ま・・まるで!!オヤジがよみがえったようだ!!!小僧!やりよった!!!」


今田が声を上げると


周りのギャラリーとして見ている職人たちも


固唾を飲んでオレの握りを見つめた



前日に


同僚及川のやっかみで


利き腕である右手を怪我させられた俺は


利き腕ではない


左手で寿司を握るしかなかった


今まで自分の記憶の中では


左手で寿司を握った事はなかったが


何故か


体と脳みそは


左手で寿司を握ることに一切の抵抗もなかった




「小僧のあの握り方は‥ワシが小僧の親父に教えた握り方なんじゃ!!

俺も左利き、だから佐伯田のオヤジも左利きで握っとったんじゃ!

あの小僧も親父に左手での握りを教わってたんだな!!

これは面白い!!!死んだオヤジの魂があの小僧には宿ってやがる!!

なかなかの本手返しじゃ!!!」





※本手返し
寿司の握り方にはいくつかの種類がある。
本手返しというのは最も伝統的な握り方と言われており、
華麗で美しいが、手が多く時間がかかるため、
現代ではほとんど見かけない握り方である。

本手返しの握り手
「きよ田」     新津武昭
「きよ田離れ」   木村 正
「寿司幸」     杉山 衛
「鮨松波」     松波順一郎
「あら輝」     荒木水都弘





審査員、


今田清次郎は興奮状態で声を上げた





今田清次郎が言った通り


佐伯田優星は


父親である


ミシュラン3つ星の寿司屋


鮨さえき田 親方


故・佐伯田 優児に


ハイハイの時から


寿司を握らされ


魚を食わされ


肉を食べたいと言うと


長い包丁で太ももを刺された


強制的に


寿司屋のせがれとして



江戸前の仕事を習わされた


優星にとって


それは苦痛そのものであり


記憶から抹消していたが


極限の状況が


優星の底にある潜在的な記憶と技術を引き出し


父と同様


見入ってしまうような所作で


握り始めたのであった


手数も少なく、ネタの温度も上げない


そして絶妙な力加減で


シャリを成型するその姿は


会場にいた板前全員が


『こいつは別格だ』


と思わせるのに充分な物であった


俺が握った1巻目は


美しい返しを施した「赤身」


その完成されたフォルムは会場全員の目を奪った


(つづく)













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