あなたが美しい理由
最近よく、「体」と「意識」は別物だと感じる
私の体は私が操れる体であることに変わりはないんだけど
私ではない
洋服のようなもの
私が洋服を着ている
その洋服は私のものだが、私ではない
それと同じように
私の体は私のものだが、私ではない
もっというと、洋服も体も
元々 私のものではない
所有とか、私が自由に使っていいと許可されているだけなのだ
その、自分の「体」と「私という意識」が
別のものであるからこの世界は面白く、美しいと思った
この前
それはリズムに合わせてスマホをタッチする
音ゲーなるものをプレイした時のこと
難易度が上がるたびに、ミスが増える
指が追いつかない
頭では処理できているのに体がついてきてない
その時点で、体と意識は完全にリンクしていないことがわかる
(普段は自由に体を動かしているように見えているから気付きにくいけど)
何か技術を極めるにしても、
スポーツをするにしても「練習」が必要で
体の使い方、モノの使い方など、
結局は自分の体の使い方を学んでいるのだと気づく
練習すればするほど、意識と体が一致してきて
体が純粋な「意識」を表現できるようになる
本当の自分である「意識」の表現
それは「意識」と「体」が織りなすハーモニー
これが洗礼されればされるほど
純粋な自分のエネルギーが現れ
それがとても美しいのだ
つまり体を使うということは
「意識」を地球(物質世界)で表現する最初の方法
「物質化」
なのである
だから、スポーツやダンスなど体の表現は惹かれるものがあるし
武道や、茶道、花道の動きには美しさがある
全て素晴らしい技術、芸術には、巧みな体の使い方が含まれてる
行動は
「物質化」すること「表現」すること
表現は
「自分の価値」を表して、明らかにすることに
全ての人に100%の価値が元々ある
どんな時でも
どんな状況でも
どんな状態でも
あなたが「情熱」を「好き」を「ワクワク」を行動するとき
その価値が"見えるカタチ"として「明確」になる
だから行動して行動して行動する
最初うまくいかなくていい
「練習」「練習」「練習」
そうやって研いでいく 磨いていく
下手さを知っているから
練習する
失敗を知っているから
次を考えられる
そうやって行動して
自分を表現して
それが
人の心を動かす
感動を与えていく人になっていく
あなたのやり方でいい
あなたの好きなことでいい
焦らなくてもいい
上手じゃなくてもいい
格好つけなくていい
ただ辞めないで
好きなことは辞めないで
好きだから「悔しい」
本気だから「もどかしい」
それは人間であるゆえ
それは真剣であるゆえ
僕も動き出します
少し熱が入りました
いつも読んでいただきありがとうございます
また次の作品もお楽しみに ♪
みんなの幸せを願って
グッドバイブレーション