綺麗な鏡の法則
学習とは
経験から得た結果をフィードバックして、修正することで成される
このフィードバックには、自分を「省みる」という工程が必要である
時にスポーツでいうフォームなど物理的な学習では、
鏡で自分を確認することでフィードバックする(省みる)ことができる
そして、目に見えない精神的な学習においては、同じレベルの人を見ることで、自分を省みているのではないかと考えた
鏡の法則に則って言うと、今見ている「相手」や「環境」は自分を写し出す鏡であると言える
つまり
成長するには自分を写してくれる同じレベルの人が必要で、
その人は自分が気づいていないことを気づかせるために存在している
そして、自分が今気づくべきこと、学ぶべきことを理解したとき、その人やその環境とは縁が切れるようになっている
逆をいうと
学びがある限り縁が切れなかったり、無理やり切っても同じような人がまた現れる
類は友を呼ぶというのも理にかなっている
だから
鏡の法則でいうと、世界は自分の投影であると言える
つまり、いつも人や社会に向かって不平不満を言っている人の鏡には、不平不満を言う醜い自分が写る
人や環境のせいにして、そっちを直そうとする人は
鏡をいくら磨いても(相手が美しくなるように変えようとしても)写ってる自分の汚れがよく見えるようになるだけなのだ
ましてや、「この社会はダメ」とか「この人はダメだ」と言って鏡自体を取り替えようとする人もいる
しかし
鏡を変えたとて、そこに写るのはいつだって自分で
自分が変わらないと何も変わらない
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最後まで読んでいただきありがとうございました!
この作品は私がかなり前に書いたであろうモノで
Twitterの下書きに眠っておりました
中を見てみると、我ながら昔の自分が面白いものを書いていたんだと少し嬉しい気分です
そして、これを書いた記憶が曖昧な分、これを書いた過去の自分はまるで別人でちょっぴり不思議な感じもしています
過去の自分と話せた気がして、「今思うこと」という作品をなんとなくでも、残しておくのは未来の自分と対話する様で、楽しいかも、と思いました
そういう意味では、今感じるもの、今思うことというのは
その一瞬にしかなくて、儚くもかけがえのない時間なのだと感じてる次第です
過去の自分の意見と、今思う意見が一致している辺り
やはり時は経っても自分なんだと、そう思います
また読んでください!
ありがとうございました!