余裕と幸せの基準
3年前、ある人に「最近の若い世代は余裕があるよね」と言われた。意味がわからなかった。
余裕ってなんだろ...余裕とかないし...とほんきで思っていた。
でも、最近なんとなく余裕の意味を感じるようになってきた。たしかに、余裕があるのかもしれない。
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余裕がなくて生きることに精一杯な人が、今の現代人をみたらきっと幸せだと感じる。
物も食料も情報もやすく豊富に手に入る。選択肢もたくさんある、こんな便利で素敵なことはないと思う。
はたして、今が当たり前だと感じている現代人は幸せだと感じているのだろうか。
当たり前は平均なので、理想が高くなる故に苦痛にすら感じているのではないか。
もっともっと便利を求めて...干からびている気がする...そのギャップはなんなのだろう...
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生死の狭間にいた人が仮にいたとして、「今日生きててよかった」「小さな花が咲く」だけでも生きているという多幸感を、現代人には感じるのだろうか。
結局は、そんな状況に身を置くこともできない。
気がつく事すらない。
知識だけ一人歩きしていても、体験に勝ることはできない。全てがなくなってからしか、気づく事ができないのか。
歴史は変化しているものの、同じことを繰り返していくのは、そういったところなのかもしれない。
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現代人は不幸なのかもしれない。幸せと感じる基準が上がっている。
もっともっとと上を見てしまって、辛いよな...生きづらいよな..
極論かな、極論かもな。でも極論だよな。
余裕がない状況に身を置くほうが、1つの小さなことに幸せを感じる基準は上がる。
小さな事に気づくこと。
それがないと、幸せを感じられなくなりそう。
現代の行き着く果ては、どこなのだろう。