物語りの終わりに。

浜辺で月を見ていた。
「神様もこんなバカな奴がいるとは思わないだろうな」と、せせら笑う。生命体ならば子孫を残せよ、と造物主によって刻まれた命令は、どうやらあまのじゃくの前には無駄だったようだ。ふふ。砂浜に身を横たえながら、つらつらと考えを巡らせる。

目の前に広がる海は飲み込まれそうなほど黒いが、今はその黒さにも温かみを覚える。気狂いのために生み出された私すら、この海は包み込んでくれるのだろう。波の音だけが響き渡り、体が溶けていってしまいそうな気がしてくる。本当なら「地球最後の人類」の栄冠は父が手にするはずだったのだが、彼の歪んだ願望のあまりに私は生まれてしまった。

浜辺に囲まれた建物が私のすべてだった。入り江を突き上げてくる森の先は既に人類が住める場所ではなかった。だから父からは立ち入らないように固く言いつけられていた。建物の中には設置されて何年になるのかも分からない食料合成機と人間培養器、それに先時代の遺物がいくつか置いてある。小屋と森。それから海。見渡す限り、平坦な世界。

機械は人間の細胞から遺伝情報を読み取り、その人間と九八パーセント程度同じ遺伝情報を持った人間を構築してくれる。残りの二パーセントは遺伝的多様性のためにランダムに選ばれるらしい。つまり、たった一人しか人間がいなくても培養器によって人間を増やし、交配することができる。理論上は。しかし、私の小屋にある人間培養器は残念ながら一回しか使われなかったようだ。こればかりは私に帰責されるものであるから、開発者に詫びるしかない。しかし何を思ってこの砂浜にポッドを設置したのだろうか。培養器は人間の健全な生殖細胞を基に作動する。であるから、若くて健康な人間がいればこのポッドは大変役に立つ。

時折風が砂浜を駆ける。風は良いものだ。
物心ついたときには父は既に高齢で、私以外の子供を「産める」状態ではなかった。そのため、人類の復興を私に託すとか、大層な言葉を吹き込んでいたのだった。父は常々「培養器を用いて子孫を残せ」と語っていた。知的生命体である私たちにはその責務があるのだと繰り返していた。それが人間の人間たる所以なのだと。彼は学者気質なところがあった。… 学者を見たことのない私がそう呼ばわるのは変だと思うけれど。

朝起きれば「歴史」を講義し、昼には「数学」を学び、夜は「詩吟」にいそしむ。たまに「哲学的問い」なるものを発せられ、その都度私は見たこともない人間たちを想定して、集団生活における道徳を父に説いたのだった。父に言わせれば人間社会を導くにはこれだけの素養があれば十分らしい。私は後代に父の思想を遺し、人間の集団を生み出す糧なのであった。理性の囁くところに従って。云々。

そろそろ痺れが廻ってくる頃合いだろうか。瞼がそっと閉じられていく。緩慢な温かさに私は身を委ねた。

***
日の出と共に起きる。どうも光が差し込んでくると眠れないたちなのだ。映像資料によると、旧時代の人々はわざわざ都会から山や海に来て朝焼けを眺めていたそうだが、十四、五年も毎日見ていると流石に美しさに感動する心も鈍ってしまう。

「社会」なるものはもうとっくに滅びており、私は私のためだけに毎日を過ごしている。社会があったら私も生きるために、人間の集まりの中に身を投じていたのだろうか。よもや資料の中でしか推し量れない社会の姿は、監獄の中にいる私にとって鉄格子の外から響いてくる車の排気音のようなものだった。フラットなノイズ。手が届かないノイズ。ざーざー。

たった一人で生きているとは言え、変化が何もないと気が狂ってしまいそうになる。幸いにして父の遺したパソコンはまだ利用できるので、そのデータベースを渉猟することでひがな一日を過ごしている。

最近は貝殻でできた芸術を見るのが好きだ。昔の人々は貝殻をつなぎ合わせて手製のアクセサリーを作っていたそうだ。不思議なことに毎日砂浜で眺めている貝殻でも、並べてみると何やら不思議な感動を生ずることが出来るらしい。私も貝殻を集めてみようか。

ざく。ざく。ざく。時折風が通り、ざわざわと音を立てる。人間一人から見ればあまりにも広大な砂浜を歩きまわる。白、ピンク、青、茶。小さい頃は碌に意識することもなかったが、目を向けてみると意外と色とりどりだ。

「君たちはどう生まれてどう死んだのかな。」
手に持った死骸たちにそう問いかける。沈黙。
「でも君たちに知性はないからなぁ」
しょせん人ではないのだ。しかし貝殻は死してなお美しい。それに比べて人間の骨ときたらなんとしかつめらしくて扱いづらいものだろうか。この前埋めた父の遺体を思い出して私は少しいやな顔をした。

全く生物は外身ばかりが美しい。

程よく太陽が照る中で夢中になって貝を集めていたら、両の手に載せきれないくらいになってしまった。

「これ… どうしようかな」
集めた貝たちをどう歓待するか、悩ましい。集めたものを置いておくだけでは獣と変わらない。昔の人間は貝殻と紐でネックレスなんかを作っていたそうだが。何か手元にあるもので再現できないだろうか。

「そうだ!」
ぷちっ。ぷちっ。
髪を引き抜くのは少し痛いが、これでネックレスを作れるのならば安いものだ。どうせいくらでも修復は出来る。ぷちっぷちっ。ぷちっぷちっ。ぷちっぷちっ。ぽたぽた。ぷちっぷちっ。痛い。

作業を始めてから一週間くらいは経っただろうか。纏まった量の髪の束を用意することができた。これを編んで作った紐に、穴を空けた貝を通していく。小さいものから順に一つずつ。一つずつ。かちゃかちゃと貝が鳴る。白い髪の毛と貝殻たちの相性は良さそうだ。音が鳴っているのは新鮮だった。

この前見つけた前時代の遺物─ カメラのことだが─ で貝殻を身に着けた映像を撮ってみる。誰が見るわけでもないが、無性に。

君たちの生はどんな様だったんだろうね。生前に会うこともなかった君たちが、こうして一つにまとまっている様は不思議でならない。でも、自然には起こりえない不自然を起こすことが出来るのは知性の為せる業なのだよ。かちゃかちゃと音を立てる貝殻一つ一つに語り掛ける。石や砂をかき分けて集めた私の所有物たち。私が集めた、私のもの、という意識は心を高揚させる。所有とはこんなにも嬉しいものなのか。

そうそう、カメラの中には前の持ち主が撮ったのであろう記録が残っていた。もう百年も前のものらしいが。どうやら小さい男の子だったらしい。風化しきった建物を背景に拾った缶詰の味に文句を言う動画や、空き缶を積み上げて遊んでいる様子、好きな女の子の話など、色々なものが込められていた。ほほえましいものばかりだった。自分の動画を撮った後、小一時間眺めていた。

そして森に捨てた。

***
私の視界に入るものは砂、海、木々のみである。生物の香りはしない。昔は魚やら鳥やらがいたらしいのだが、人類が滅亡するような事態だ。きっといなくなってしまったのだろう。たまに骨が転がっているのを見るくらいである。じゃらじゃらと貝殻が鳴る。不揃いな貝殻たちだが、これは私の理性でつなぎとめたものだ。これが人類の力なのだ。言い過ぎかもしれない?

夜になる。浜辺に響くのは波の打ち寄せる音だけだ。日が落ちると自分の手元を見ることすらおぼつかない。闇の外側には何があるのだろう。じゃらじゃらと貝がぶつかる音が小屋の中に響く。もちろん灯りを点ければ良いというだけの話ではあるけれど、自分の手元だけ明るいと余計に孤独を感じるのだ。貝殻を握りしめると、どことなく温かみを感じる。布の上に身を横たえて、私は眠りに就く。おやすみ。

***
日の出と共に起きる。どうも光が差し込んでくると眠れないたちなのだ。映像資料によると、旧時代の人々はわざわざ都会から山や海に来て朝焼けを眺めていたそうだが、十四、五年も毎日見ていると流石に美しさに感動する心も鈍ってしまう。母なる海からは、かつて私たちの先祖が出で来たそうだが、これはすっかり酸に偏ってしまっていて、そこに身を委ねることは難しい。海すらも、もはや私のことを抱いてはくれまい。

私は誰の腕にも抱かれることなく死んでいくのだろうか?

体を包み込んでみる。単に両の腕を撫でているだけだ。「うーん」何も感じない。なんというか、温かみが足りない。

貝たちを撫でてみる。あいも変わらず固い手触りを提供してくれるだけだ。君たちには仲間がいたのだろうか。私のように仲間と出会えずに死んでいった奴もいたのだろうか?仲間とは何だろうか。彼らは自分たちと同じ貝たちを求めていたのだろうか。

培養器を撫でてみる。滑らかな手触りは貝たちとは大違いだ。ここで培養すれば私は仲間を手に入れられる。私の孤独を癒してくれる者が。父もこんな気持ちだったのだろうか。
答えは出ない。父に抱きしめられたこともなかったのだから。

***
日の出が差し込んでこなくても起きてしまう日はある。そもそも眠れないたちなのだ。月明りを眺める美しさを人々は讃えたそうだが、暗闇に浮かぶ二つの月はどうにも不気味でならない。寂莫とした黒い海の上に月が映る。月が水面に揺れる。私の髪も風に揺れる。

眠れないのなら少し歩いてみようか。揺れるリズムに身を任せて。


煌々と月が砂浜を照らす。私の足元はくっきりと光の中に浮かび上がり、歩ける。影が砂浜に揺れ、風がふんわりと私の体を持ち上げる。

ふわり。ふわり。昼間とは違って、夜は、はだしでも走れる。とすとすとすと私の足が砂浜を踏みつける。影が揺れる。走り、髪が風にたなびく。とすとす。たんたんたん。たったった。とす。しゃりっ。

ああ。心地よい。夜は私の体を包み込んでくれる。月明りが私に差し伸べられて、私はそっとキスをする。手を伸ばせば応えてくれる。これが愛なのかもしれない。

愛なのかな。愛かもしれない。無様だ。
冷たい月明りに手を伸ばして、結局実態がないことに気づいて、泣く。

ぱさっ。砂浜に倒れこむ。存在しているのは地上だけだ。ああ愛しき我が大地。彼は私の後ろに横たわり、私の前には鄙びた海の香りと黒々とした空が存在する。しかし地上は丸く、私は滑り落ちていってしまう。私は何に包まれることもなく、真空に放り出されて死んでしまうのだろう。

悲しい。悲しい。倫理と本能のせめぎあい。でも私は知性的な人間なのだ。滑稽な面だ。最後の剰余を食いつぶしている人間が本能
に逆らっているのはつくづく惨めな様だろう。あはは。なんてこった。

***
浜辺で太陽を見ていた。ラジオからは昼のニュースが流れてくる。
「○○市の砂浜から■■■のものとみられる白骨が見つかりました。死後一年ほど経っているとみられ、陸上警察が捜査を進めています。」

死んでから一年も見つからなかったのか。あるいは死んでから一年も経った白骨を今更砂浜に捨てに行った奴がいたのか。

「死ぬなんて、そんなばかな話があるか」とふと笑ってみる。とっくの昔に、電子の海ではどんな欲求でもかなえられるようになったのだ。

まだ地上にいるなんてよっぽどの変人に違いない。ばかなやつだな。

Fin

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